四種往生
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ししゅ-おうじょう
『西方指南抄』に収録されている。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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『西方指南抄』下末 に説かれている四種往生の事。時代は下がるが『安心決定鈔』にも「四種往生の事」(p.1406) としてこの四説の解釈がある。
- 四種往生の事
- 一 正念仏往生 『阿弥陀経』説
- 二 狂乱念仏往生 『観無量寿経』説
- 三 無記心往生 『群疑論』説
- 四 意念往生 『法鼓経』説
- 『法鼓経』言 「若人命終之時不能作念 但知彼方有仏作往生意亦得往生」 (『西方指南抄』下末 p.1027)
『法鼓経』言の意念往生の文は
- 「もし人命終わる時、念を作(な)すことあたわず。ただ彼方に仏有るを知りて往生の意を作すも往生を得る」
と読む。この文は『安楽集』第五大門(安楽集 P.263) の修道延促をあらわす一段にある。
御開山は「御消息」で、
- まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候ふなり。(御消息 P.771)
とされていた。「四種往生」説が念頭にあったからであろう。
- 一 正念仏往生とは、『阿弥陀経』に説かれる「是人終時 心不 顛倒 即得往生 阿弥陀仏極楽国土(この人終らんとき、心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得)」の、来迎によって臨終正念(心不顛倒)に住して往生することをいう。
- 二 狂乱念仏往生とは、『観経』の下品下生の苦にせめられて「汝若不能念者 応称無量寿仏(なんぢもし〔仏を〕念ずるあたはずは、まさに無量寿仏〔の名〕を称すべし)」のような、狂乱し、ただ仏名を称しての往生をいう。
- 三 無記心往生とは、『群疑論』にある、信の上からは臨終時に善悪のけじめもつかないような心の状態のままであっても往生するということ。
- 四 意念往生とは、信決定の上からは臨終に名号を称えることが出来なくとも浄土を思い浄土へ往生する意を持つだけで往生を得るとされる。
臨終の一念に往生が決定するといふ臨終業成説に対し、平生に往生の業が定まるといふ平生業成説の示唆か。「臨終の善悪をば申さず」とはその意であろう。現代の高齢化による認知症の人が増える中で考察すべき問題であろう。