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即得

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そくとく

 第十八願成就文の「即得往生住不退転」(すなわち往生を得、不退転に住せん)を指す。 (行巻 P.170)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

即の字は、言葉の接続詞として使われ、日本語ではすなわちと訳される。すなわちには、時間的前後(異時即)と時間的に全く同じ(同時即)という意味があるが、御開山は「即」の語を同時即とされたが異時即でみられている場合もある。

このことによって、浄土へ往生して浄土の土徳(環境)によって憂いなく仏道を修行して仏陀の覚りを得るとされていた浄土教を、往生即成仏であるとされ、浄土教のみが仏陀の覚りへいたる道であると顕開されたのである。「念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す」の所以である。林遊


そく

 別々のものが本来的には一つであることをいう。不二、不離などに同じ。 天台教学では3種に分けて説明する。

二物相合(にもつそうごう)の即。二つの物が離れない関係にあることをいう。
背面相翻(はいめんそうほん)の即。表と裏のように一見異なっているが、その本質からいえば一であることをいう。
当体全是(とうたいぜんぜ)の即。あるものがそのまま違うものと同じであることをいい、「権即実(方便のままが真実である)」などと用いられる。

また、「即」の時間的関係をいうものに同時即(どうじそく)異時即(いじそく)とがある。 同時即とは『一多文意』に「即得往生といふは、「即」はすなはちといふ、ときをへず、日をもへだてぬなり」 (一多 P.678)とあるように、信心がおこることと正定聚に住することが同時である場合をいう。 異時即とは『高僧和讃』に、
(73)

煩悩具足と信知して
 本願力に乗ずれば
 すなはち穢身すてはてて
 |法性常楽証せしむ (高僧 P.591)

とあるように、本願力に乗じて信心がおこることと穢身を捨てることは時間的な隔たりがあり異時である場合をいう。〔浄土真宗辞典〕


『智度論』には、

即時有二種。一者同時。二者雖久更無異法。即是心而得修七覺亦名即時。
即時に二種有り、一には同時、二には久しといえども、更に異法無し。即ちこの心にして、而も七覚を修むることを得るも、また即時と名づく。(*)

と、同時即と異時即を論じている。

参照WEB版浄土宗大辞典の「即」の項目