剋念して生れんと願ふひとと、またすでに往生を得たるひとも、すなはち正定聚に入る
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こくねんして・・・いる
『論註』の当分では「剋念して生ぜんと願ずれば、また往生を得て、すなはち正定聚に入る」と読む。剋念願生する者が浄土に往生して正定聚に入る義であるが、親鸞聖人は原文を読みかえて、剋念願生する者(此土)と浄土に往生した者(彼土)と二類の正定聚があることを示した。剋念は心を専注して一心になること。ここでは信念の異名。 (一多 P.681)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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『浄土論註』
- 若人但聞彼国土清浄安楽 剋念願生 亦得往生 即入正定聚。
- もし人、ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生ぜんと願ずれば、また往生を得て、すなはち正定聚に入ると。
- 此是国土名字為仏事 安可思議
- これはこれ国土の名字、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや。
御開山」の訓み
- 若人但聞彼国土清浄安楽 剋念願生 亦得往生 即入正定聚。
- もし人ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生ぜんと願ぜんものと、また往生を得るものとは、すなはち正定聚に入る。
- 此是国土名字為仏事 安可思議
- これはこれ国土の名字仏事をなす。いづくんぞ思議すべきやと。(証巻 P.309)