仏の本願に望むるに、意
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ぶつのほんがんにのぞむるに、こころ
「仏の本願の意を望まんには」 と読む説もある。 この場合の 「意」 は本願に属すが、本文の場合は釈尊の意となる。 (散善義 P.500、選択本願念仏集 P.1217)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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原文:
- 上来雖説 定散両門之益 望仏本願意 在衆生一向専称弥陀仏名。
- 上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意(こころ)、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。
- 上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願の意(こころ)に望まんには、、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。