智覚
提供: WikiArc
道元禅師の言行を記した『正法眼蔵随聞記』に、道元禅師が智覚禅師の出家のいわれについて話されたことが載っています。智覚禅師という方は親鸞聖人誕生の200年ほど前に亡くなった中国の方です。この方は、はじめ官吏でした。心の真直ぐな賢い人でしたが、或る時、役所のお金を盗んで、貧しい人々に施しました。それを他の役人が皇帝に訴えたので、その人柄をよく知っていた皇帝は不思議に思ったのですが、罪を軽くはできないので、死刑に決定しました。刑の執行のために差し向けられる勅使に皇帝は「彼は学問もあり、賢者でもある。それだのにわざわざこんな罪を犯すというには、何か深い考えがあるからであろう。もし首を斬る時に悲しみ嘆く様子があったら、さっさと斬るがよい。しかしもしそういう様子がなかったら、斬ってはならない」と命じました。予想通り悲しみ嘆く様子はなく、むしろ喜んでいるようであったので、その理由を尋ねました。それに対して「人間に生まれたこのたびの命はこの世の一切の生きとし生けるものにほどこすのです。私は官職をやめ、命を捨てて施しを行い、生きとし生けるものと仏縁を結び、次の世には菩薩に生まれて、ひたすら仏道を行じようと思います」という智覚禅師の答えに心打たれた皇帝は、罪を許し、智覚禅師を出家させたというのです。