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同居の土

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天台智顗の『観経疏』における四種浄土説。

  1. 凡聖同居土
  2. 方便有余土
  3. 実報無障礙土
  4. 常寂光土

適当に読み下したので、乞う訂正。

天台『観経疏』

今此経宗。以心観浄 則仏土浄。爲経宗致。四種浄土。謂凡聖同居土。方便有余土。実報無障礙土。常寂光土也。

今、この経の宗は、心をもって浄を観ずれば即ち仏土浄なり。経の宗致となす。四種の浄土、謂く凡聖同居土、方便有余土、実報無障礙土、常寂光土なり。

各有浄穢。五濁軽重同居浄穢。体析巧拙有余浄穢。次第頓入実報浄穢。分証究竟寂光浄穢。

各、浄穢あり。五濁の軽・重は、同居の浄穢、体析[1]の巧拙は有余浄穢、次第頓入は実報浄穢、分証究竟は寂光の浄穢なり。

娑婆雑悪荊棘瓦礫。不浄充満同居穢也。安養清浄。池流八徳樹列七珍。次於泥洹皆正定聚。凡聖同居上品浄土也。

娑婆の雑悪は荊棘瓦礫にして、不浄充満する同居の穢也。安養清浄の池は八徳流し樹七珍を列す。泥洹に次(ちか)く、皆、正定の聚と凡聖の同居する上品の浄土也。


方便有余者。修方便道断四住惑。故曰方便。無明未尽故言有余。

方便有余は、方便道を修し四住の惑を断ずが故に方便という。無明未だ尽ざる故に有余と言う。

釈論云。出三界外有浄土。声聞辟支仏出生其中。受法性身非分段生。

釈論に云。三界の外に出でて浄土有り。声聞・辟支仏、其中に出生す。法性身を受けて分段の生に非ず。

法華云。若我滅後実得阿羅漢。不信此法。若遇余仏。於此法中。便得決了。

法華に云く。若し我、滅後に実に阿羅漢を得ん。此法を信ぜず、若し余仏に遇いて此の法の中において便ち決了を得。

就中復有利鈍。指上爲浄。指下爲穢也。

なかんずく復た利鈍有り、上を指して浄となし、下を指して穢となす也。


実報無障礙者。行真実法感得勝報。色心不相妨。故言無障礙。

実報無障礙は、真実法を行じ、勝報を感得す。色心相妨げずが故に無障礙と言う。

純菩薩居無有二乗。仁王経云。三賢十聖住果報。即是其義。

純菩薩の居し二乗有ること無し。仁王経に云く。三賢・十聖の果報に住す、即ち是れ其の義なり。

釈論云。菩薩勝妙五欲。能令迦葉起舞。

釈論に云く。菩薩勝妙の五欲、能く迦葉を起ちて舞わしむ。[2]

華厳云。無量香雲台。即其土浄妙五塵。就中更論次第頓悟上下浄穢等也。

華厳に云く。無量香雲台、即ち其の土、浄妙五塵なり。なかんずく更に次第頓悟上下浄穢等を論ずる也。


常寂光者。常即法身。寂即解脱。光即般若。是三点不縦横並別。名秘密藏。

常寂光は、常即法身なり、寂即解脱なり、光即般若なり。是の三点縦横並別せず。秘密蔵と名づく。

諸仏如来所遊居処。真常究竟極爲浄土。

諸仏如来の遊居する所の処なり。真常究竟極浄土となす。

分得究竟上下浄穢耳。故以修心妙観能感浄土。爲経宗也。

分得究竟の上下浄穢のみ。故に心妙観を修すを以て、能く浄土を感ずるを経宗となす也。観経疏 智顗



  1. 存在を種々の構成要素に分析し、それらは実体をもたず、空であると念想すること。
  2. 香山で音楽の神の緊那羅(きんなら)が琴を奏した時、そのすばらしさに、さしもの摩訶迦葉も起(た)って舞を舞ったという伝説。迦葉起ちて舞う。