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西吟

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さいぎん 西吟 (1605-1663)

 本願寺派初代能化。院号は成規院。永照寺 (福岡県北九州市) 住職。幼少より了尊に師事し、さらに京都東福寺では約2年間禅宗を学んだ。のちに帰郷して宗学の研鑽と子弟の育成に励み、正保4年 (1647)、能化に任じられた。創建間もない学寮の基礎確立に尽力し、学徒のための法制 (法制七条・法制十二条) や学舎などの整備を進めた。承応2年 (1653) に同じ了尊門下である月感から、自説が聖道の教え、自性唯心に偏したものであるとの非難を受けたことに対し、非難の内容一々に返答し反論している。後に、この論争は承応の鬩牆(げきしょう)と呼ばれ、学寮の破却にまで至った。著書に『無量寿経科玄概』『正信偈要解』などがある。(浄土真宗辞典)

実質的初代能化は准玄であるが、准玄は孫寂玄が異義処罰を受けたことにより歴代能化から除かれ、西吟が初代能化とされることが多い。

准玄