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真如縁起

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真如縁起 しんにょ‐えんぎ

 真如は一味平等であるが、この真如より染浄(ぜんじょう)[1]の縁にしたがって、一切万有の生滅の相が生ずるということ。如来蔵縁起。(コトバンク)

仏教学辞典より抜粋
 ⑤『大乗起信論』では真如を衆生心の本体であると説き、それは言語や思惟を絶したものであるから離言真如(りごん-しんにょ)、それを強いて言語に表現して説いたのを依言真如(えごん-しんにょ)、合わせて二真如といい、依言真如についてその体が迷いのこころを離れて空である点を如実空(空真如)、しかもそれ自体はきよらかなかぎりない無漏清浄の功徳を具えている点を如実不空(不空真如)という。
また衆生心すなわち真如には絶対不動な心真如門と、それが無明の縁によって動かされ染浄の現象となった心消滅門とがあり、不動である真如を不変真如、それが縁によって現れた染浄の現象を隨縁真如といい、合わせて二真如という。
一般に万有の生起する仕方真如不変・隨縁によって説明するのを真如縁起(如来蔵縁儀)と称する。
またこの二真如とほぼ同じ意味の語に清浄真如・染浄真如、あるいは非安立真如・安立真如(安立とは万有を生起しそれぞれにところを得させる意)がある。(仏教学辞典)


  1. 染浄。煩悩のけがれに染まることと染まらないこと。