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性信

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しょうしん

 (-1275)親鸞聖人の高弟。『交名牒(きょうみょうちょう)』によると、下総(しもうさ)飯沼(いいぬま)(現在の茨城県水海道市)の住。横曽根(よこそね)門徒の中心人物で報恩寺の開基と伝えられる。建長の念仏訴訟ではその解決にあたった。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

しょうしん 性信

 (1187-1275) 親鸞の門弟。二十四輩の第一。「交名牒」によると下総国飯沼 (現在の茨木県常総市) の住。横曽根門徒の中心人物。常陸国鹿島郡の大中臣氏の出身といわれ、法然に入門し、その命により親鸞に師事したという。親鸞の越後流罪、関東移住に従い、親鸞帰洛に際しては関東の後事を託されたといわれる。親鸞の信頼が(あつ)く、現存する親鸞の御消息は性信宛のものが最も多い。『御消息』第25通(註 783) から性信が建長の念仏訴訟の解決にあたったことや、また第8通(註 753) から『真宗の聞書』という著書があったことなどが知られる。報恩寺(東京都台東区・茨木県常総市)などの開基とされる。(浄土真宗辞典)

『御消息』(25)に、

(25)  六月一日の御文、くはしくみ候ひぬ。さては、鎌倉にての御訴へのやうは、おろおろうけたまはりて候ふ。この御文にたがはずうけたまはりて候ひしに、別のことはよも候はじとおもひ候ひしに、御くだりうれしく候ふ。{─後略─} (消息 P.783)

等とあり、善鸞事件による性信坊の苦労をねぎらっておられる。この功に報いる為に坂東本『教行証文類』(御真筆本)を門下の最古参であり性信に譲られたといわれる。