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僧鎔

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そうよう 僧鎔(1723-1783)

 本願寺派の学僧。院号は明教院。善巧寺 (富山県黒部市) 住職。空華学派の祖。僧樸に師事。自坊に空華廬を開いて門弟の育成に努めた。門下の柔遠、道陰とともに空華学派の三師の一に数えられる。著書に『本典一渧録』『愚禿鈔温故録』『三帖和讃方軌』『末灯鈔管窺録』などがある。(浄土真宗辞典)

空華轍(くうげ-てつ)

本願寺派の学轍の一。僧鎔を(号:空華)を祖とし、門下の高足に柔遠、道隠があり、これを空華の三師という。柔遠の系統を越中空華、道隠の系統を堺空華と呼ぶ。行信論においては法体大行説を立てた。