人惑を受けず
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梯實圓和上は、聖典セミナー『歎異抄』で、「人間に救いの証言を求めることは、如来のみが知ろしめし、なしたまう救済のわざを、人間の領域にひきおろすことになりますし、人間の証言によって成立した信念は、人間の論難によってすぐにゆらいでしまうにちがいありません。人のまどわしを受けない信は、ただ仏語によってのみ確立するのです。」(p.93) と人惑を受けずということを示しておられた。
浄土真宗で「知識帰命」を異義として排斥するのは、人としての善知識を重視しすぎて返って「法」をみる眼を妨げてしまうからである。この意を御開山は『大智度論』の法四依の文を引き「法に依りて人に依らざるべし(依法不依人)」とされておられたのである。- 以下は梯實圓和上の講演録より抜粋。
親鸞聖人は、私がいつも言っている事は「如来様にお任せするのだよ。自分に任せるのでもない、人に任せるんでもない。如来様に任せるのだよ。それから自分を信ずるでも、人を信ずるのでもない。如来様のお言葉を信ずるのだよ」と言われておられるのです。これだけをハッキリと心に定めれば問題はなくなる筈です。人だけが表に立って如来様が見えなくなる。これが非常に危険な事です。すぐれた宗教者というのは非常にインパクトの強い、というか、カリスマ性を持っていまして普通の人間よりは強い強烈な個性を持って人々の心の中に迫ってくるものがあるのです。それだけに人が表に立ってしまうのです。そして肝心のものが見えなくなる。これはすぐれた宗教者ほどその事に気がついていて、その事をみんなに注意する訳です。
お釈迦様もそうです。「我を見るものは我を見ず。法を見るものは我を見る。」とおっしゃいます。或いは「私の影を踏み、私の衣に触れたとしても、仏に触れたとはいえない。」といわれています。私の衣の袖を捕まえていたとしても仏陀としての私に触れた事にはならないのです。影を踏むというのですから余程近い所にいます。影を踏んでいても私を見た事にならない。「我を見るものは我を見ず。法を見るものは我を見る」というのです。お釈迦様の事を非常に尊い方という事で釈尊といいます。釈迦族出身の聖者で、もう絶対的な人格として弟子達には映る訳です。しかし釈尊自身は「私を見てはいけない」という事をいつも言い続ける人なのです。「私を支え、私を目覚めさせているその法を見なさい。法を見るものは我を見る」というのです。だから「仏に帰依する」という、その次に必ず「法に帰依する」とでてきます。「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」[1] といいます。仏に帰依するというのは仏が悟り、そして仏が説かれたその法に心が向いている、しかし仏を通さなければそれが分かりませんから。仏を通して、しかし仏を突き抜けて、仏をして仏たらしめている法を受け入れる。これが仏教なのです。
親鸞聖人もそうです。「私のいう事を信ぜよ」とは決しておっしゃらないのです。寧ろお釈迦様以来ズウーと伝わってきた法を信ずるのだ。お釈迦様を揺り動かし、七高僧を揺り動かし、そして私達を呼び覚ましている法を信ずるのだ。それは七高僧を通して、お釈迦様を通して我々の上に実現している。けれども真宗ではどこまでもお釈迦様というのは善知識です。救済主ではないのです。救済するのはお釈迦様ではなくて阿弥陀様です。だからこの場合にお釈迦様というのは教主です。教えを説く人です。阿弥陀様は救主です。阿弥陀様がお救いになる事をお釈迦様が私達に解説をして下さる訳です。だから私達はお釈迦様を通して阿弥陀様に一人一人が直参[2]しなければなりません。だから真宗ではお釈迦様が本堂にご安置されていません。阿弥陀様だけがご安置されています。信仰の対象はお釈迦様よりも阿弥陀様になる訳です。お釈迦様は阿弥陀様の教えを私達にお取次をして下さる訳です。だからどこまでも私達はお釈迦様を通して阿弥陀様の教えを聞く、弥陀の本願を聞くのです。その阿弥陀様の本願をお説きになるのがお釈迦様ですから、お釈迦様の言葉を通して阿弥陀様の教えに直参[2]するという事です。その善知識としてのお釈迦様をズウーと伝統したのが七高僧であり、我々にとっては親鸞聖人もそうです。だから私達にとって親鸞聖人も善知識ではありますが救済主ではありません。親鸞聖人に救って貰うのではありません。親鸞聖人が「阿弥陀様に救って頂くのだよ、この本願に救って頂くのだよ」といわれたその本願を信じ、そして念仏を申すという事になる訳です。
それが逆に善知識が表に立ちますと法が見えなくなるのです。そうすると非常に危険な形がでてくるのです。真宗で知識帰命という事を厳しく戒めるのはそれなのです。蓮如上人もその事を厳しく戒めていらっしゃいます。蓮如上人が吉崎御坊にお越しになった頃に蓮如上人の教えを受けて雪崩現象を起こして北国一円が本願寺の門徒に変わっていくというような大変な状況が出てくる訳ですが、ああいう風になりますといわゆる人気が人気を呼ぶのです。蓮如上人はスターどころかスーパースターです。とにかく顔を見るだけで有り難い。お声を聞くだけで極楽へいけるような気がするのです。これが集団でそういう状況になりますと一種の集団催眠術にかかったようなものなのです。またそれくらいの能力を持っていないとあれだけの伝道は出来ない訳です。それだけに危険な落とし穴がある訳です。それを蓮如上人は自分自身でよく知っておられた訳です。吉崎に参ってくる人達は大変な数だったらしいのです。開門と同時にワァーと入ってくる訳なのです。それで押されして将棋倒しになって怪我人まででるのです。吉崎では死人はでなかったけれども井波の瑞泉寺においでになった時には死人が出ています。雪崩をうってワァーと入りますから。少しでも蓮如上人に近い所へいって顔を見て声を聞いて、出来たら手ぐらい握ってもらおう、そうすれば極楽へ一直線に参れると思っていますから制止も何も聞く者はいないのです。一斉に入ってくるから折り重なって死んでしまう訳です。しかし死んでも良いのだ。ここで死んだら極楽へいけるのだというのですからかないません。
それで蓮如上人は『御文章』(→帖外) の中で「参ってくる人の中には私を拝みに来る人がいる。この生臭い坊主を拝んで何になるか、私を拝むような不心得ものは一切来るな。私を拝みに来るぐらいなら、墓場でひっくり返っている卒塔婆でも拝んでおれ。その方がまだ功徳がある」とおっしゃっています。それくらい私を拝むのではないぞとおっしゃる訳です。それくらいに蓮如上人を慕う事によって教えというものが入ってくる訳でしょうが、それがまた蓮如上人を余りにも頼りますから、そうすると阿弥陀様が見えなくなるという事になるのです。
その典型的な例は、お釈迦様の弟子の阿難尊者です。阿難尊者はお釈迦様の従兄弟です。お釈迦様の五十五才頃から八十才で亡くなるまでの晩年の二十五年間というものはズウーとお釈迦様に付いていたのです。いわゆる多聞第一といわれるように教えを一番よく聞いていた人です。しかし彼はお釈迦様の生きている間に究極の悟りを開く事が出来ませんでした。僅かに預流果という聖者の位としては一番低い所に居たのです。『仏説阿弥陀経』では「千二百五十人みなこれ大阿羅漢にして衆に知識せらりき」と書いてありますが、他の経典では殆どの場合は「みな大阿羅漢にして、阿難の場合だけは違う」と書いてあります。
殆どの人はみな阿羅漢の悟りを開いているのだけれども阿難だけは除くというのです。まだ究極の悟りを開いていなかったという訳です。何故かというとお釈迦様にズウーと付いていたからなのです、ズウーとお釈迦様に付いていますとどうしてもお釈迦様に頼りきってしまうのです。そのために法が見えなくなる。沢山聞いて知っているんだけれども肝心の所が悟られていないのです。それで彼はお釈迦様が亡くなった後にお釈迦様の教えを全部編集しようと弟子達が全て集まって「ある時に私はこう聞いた」「私はこう聞いた」というものを全部持ち寄ってお釈迦様の説法を集録したのです。お釈迦様は一字も書いて残しておられませんから原稿は残っていない訳です。テープレコーダーがある訳でもありません。だから聞いた人が死んでしまいますと、それで消えてしまいますから聞いた人がまだ生きている間に皆その言葉を集めたのです。ただし本格的な悟りを開いたものでなかったら聞いた事がただ言葉としてだけ聞いて、それが自分の中でハッキリと確認されていないと聞き損なっている場合があります。だから本当の悟りを開いた人でなかったら編集会議に集まれないのです。悟りを開いた人だったら、教えの言葉をその悟りの心によってチャンと確かめている訳です。確かめていますから少しぐらい言葉が変わっていても大丈夫なのです。その言葉は正確なのです。
{中略}
そんな事で阿難尊者はお釈迦様に付いていましたから沢山覚えて知ってはいますけれども自分自身が阿羅漢という悟りの境地に到達していません。だからその言葉は確認された真理ではない訳です。だから信用できない訳です。そういう事で阿難尊者は経典編集会議には参加させて貰えなかったのです。それで彼はこれではお釈迦様に対して申し訳ないというので編集会議が行われる迄の間に彼は悟りを開くのです。死体置き場へ行き恐ろしい所で瞑想に入りまして、結集(編集会議)の行われる直前に彼は忽然と悟りを開くのです。そして彼は悟りを開いた事を編集会議の最高責任者であった摩訶迦葉に、その領解を述べますと「よろしい貴方はもう大丈夫だ。見るべきものを見た、悟るべきものを悟った」と承認され編集会議の中に入る事が出来たのです。そして「如是我聞……」と説いていく訳です。
このように偉大な人格が前にありますと、その人格に押されてしまいまして、その人格のもう一つ向こうに、その人格を包んでいる法が見えなくなるのです。そうすると一番大切なものが見えないという事になるのです。親鸞聖人や蓮如上人もそうですし、法然聖人もそうですが、それを非常に警戒されている訳です。真宗では「知識だのみ」といいます。善知識に心の焦点があってしまって、善知識が伝えようとしている根元的な真理が見えなくなってしまう事を善知識だのみといいます。それを禅宗の方では「人惑を受ける」といいます。人に惑わされる。人に惑わされるという事は人を見ているから人に惑わされるのです。人を見るな、人を超えて法を見よ。これを仏教では「法によって人によらず」或いは「義によって語によらず」言葉は言葉を超えた真理を伝える道具なのです。だから言葉を超えてその言葉が伝えようとする真実によるのだ。言葉によってはいけない。言葉を通して言葉を超える。「義によって語によらず」「法によって人によらず」こういう事がよく言われます。
- 朝日カルチャー「親鸞聖人とその妻の手紙」梯實圓和上 から抜書き
- ↑ 三帰依文といい、仏教を開かれた釈尊(仏)を信じます。釈尊が説かれた教え(法)を信じます。釈尊の教えを弘通するなごやかな集(つど)い(僧伽)を大切にします、という意。この三宝について、釈尊在世の頃は偉大な人格としての釈迦牟尼仏がおられたから、仏弟子にとって、仏・法・僧の三宝は現前の事実であった。しかし、釈尊がおられなくなってからは、法を求める「僧」(僧伽、教団)の中に仏陀がおられるとして理解されるようになった(僧中有仏)。いわゆる小乗仏教に於いては、僧伽の中に法を求めようとする仏陀(釈尊)みるようになった。この為に小乗仏教では厳粛な戒律主義をとる。やがて大乗仏教の興起によって、仏陀の仏陀たる精神はあらゆる者をさとりへ趣(おもむ)かせるという「法」の中にあるのだ(法中有仏)、と理解されるようになっていった。この「法」の精神に目覚めた大乗の菩薩達によって「利他(他を利益する)」を中心とする大乗仏教が説かれるようになったのである。そして、釈尊の説かれた法を考察する中で、一つの世界に二人の仏陀は出現しないという小乗の「一世界一仏論」を突破し、釈尊以外にも多くの仏陀が現在も法を説かれておられると説かれるようになった。阿弥陀仏はその代表的な他方世界の仏陀であった。釈尊のさとられた「法」を人格化してあらわされるようになったのである。これが浄土仏教の阿弥陀仏(仏法)であった。法然聖人は御開山の著された『西方指南鈔』の「浄土宗大意」で「三宝の中には仏宝也」とされておられた。御開山は『御消息』(10) で「浄土宗大意」の解説を問う関東の門弟の問いに答え「三宝といふは、一には仏宝、二には法宝、三には僧宝なり。いまこの浄土宗は仏宝なり」と示しておられたものである。→三帰依
- ↑ 2.0 2.1 直参(じきさん)。ただち(直)に阿弥陀仏の仏心に参ずること。