無疑心
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むぎしん
無疑心とは、
御開山は「本願成就文」で、
と、疑心あることなし(無有疑心)とされておられた。→疑蓋
『一念多念証文』には、「本願成就文」を釈し、
と「疑ふこころなき」(無疑心)とある。(無二疑心一)
御開山は、第十八願の三心を結釈して、
- 「三心すでに疑蓋雑(まじ)はることなし、ゆゑに真実の一心なり。これを金剛の真心と名づく。金剛の真心、これを真実の信心と名づく。(三心已疑蓋無雑 故真実一心 是名金剛真心 金剛真心 是名真実信心。)」(信巻 P.245)
と、
この無疑心とは、疑ふこころなきで、疑いがない心があることではない。無疑心とは無い状態を示す語である。では、何があるかといえば法があるのである。法が機にあることを信心(信楽)というのであった。
- →不疑心