末法
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まっぽう
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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『大経』には、
と法滅の後も なんまんだぶ(念仏)の法は留まるとある。
道綽禅師は、
- 第三に経の住滅を弁ずとは、いはく、「釈迦牟尼仏一代、正法五百年、像法一千年、末法一万年には、衆生減じ尽き、諸経ことごとく滅す。 如来痛焼の衆生を悲哀して、ことにこの経を留めて止住すること百年ならん」(大経・下意)と。(安楽集 P.721)
法然聖人は『選択本願念仏集』「特留章」で、この経を留めるとは仏法が滅する法滅の後にも念仏を留めることであるとされた。(選択集 P.1224)
『西方指南抄』「法然聖人御説法事」には、
- 釈尊の遺法に三時の差別あり、正法・像法・末法也。その正法一千年のあひだ、教行証の三ともに具足せり、教のごとく行ずるにしたがふて
証 えたり。像法一千年のあひだは、教行はあれども証なし。教にしたがふて行ずといゑども、悉地をうることなし。末法万年のあひだは、教のみあて行証なし。(西方指南抄#P--916)
と教・行・証について語られ末法には教のみあって行証なしとされておられた。
御開山は『教行証文類』の後序で、
- ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく
廃 れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。しかるに諸寺の釈門、教に昏 くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷ひて邪正の道路を弁 ふることなし。(化巻 P.471)
と、末法の時代には、聖道門の行・証は廃れ浄土真宗の証道(本願念仏によって浄土に往生し、さとりを得る道)こそが盛んであるとされた。
末法の年限については諸説あるが、正法五百年(あるいは千年)、像法千年、末法一万年説が一般的である。