延暦寺奏状
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- 三時の教を案ずれば、如来般涅槃の時代を勘ふるに、周の第五の主穆王五十三年壬申に当れり。その壬申よりわが元仁元年[元仁とは後堀川院諱茂仁の聖代なり]甲申に至るまで、二千一百七十三歳なり。また『賢劫経』・『仁王経』・『涅槃』等の説によるに、すでにもつて末法に入りて六百七十三歳なり。
延暦寺三千大衆法師等誠惶誠恐謹言
天裁を蒙り一向専修の濫行を停止せられることを請う子細の状
目次
弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事
一、不可以弥陀念仏別建宗事。
- 一、弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事。
右謹検旧典建教建宗 有法有式。
- 右、謹しんで旧典を検するに、教を建て宗を建つるに法あり式あり。
或外国真僧帰化而来朝。或吾朝高僧奉勅而往諮。
- あるいは外国の真僧、化に帰して来朝し、あるいは吾が朝の高僧、勅を奉り往いて
諮 らふ。
予知一朝之根機 已張八宗教綱。
- あらかじめ一朝の根機を知ぬ。すでに八宗の教綱を張るところなり。
諭其祖宗 無非賢聖。尋其濫觴 皆待勅定 相承有次第 依憑無忤誤。
- 其の祖宗を諭ずるに、賢聖に非らざるは無し。其の濫觴を尋ぬれば、皆勅定を待ちて相承の次第有り、依憑するところ忤(さから)ひ誤こと無し。
爰頂年 有源空法師 卜居於黒谷之初 未有博学之実。移棲於東山之後 頻吐 誑惑之言 猥以愚鈍之性 欲追賢招之蹤。
- ここに頂年、源空法師有り、黒谷に卜居の初、未だ博学の実有らず。
棲 を東山に移しての後、頻 に誑惑の言(ことば)を吐く、猥(みだり)に愚鈍の性を以つて賢招の蹤 を追わんと欲す。
私建一宗 還謗三宝 思生衿袖 敢無師説之稟承。
- 私に一宗を建て、還りて三宝を謗る、思い衿袖[1]を生じ、敢えて師説の稟承無し。
言任干胸憶 不依経論の誠説。
- 言、胸憶に任せ、経論の誠説に依らず。
遂煽邪風 於都鄙 殆払恵雲於天下。
- ついに邪風を都鄙に煽ぎ、殆んど恵雲の天下を払ふ。
自爾以来源空 雖没 未学興流。
- これより以来、源空、没すといえども、未学の流を興こす。
更分一念多念之門徒 各招誹法破法之罪業。
- 更に一念多念の門徒を分け、おのおの誹法破法の罪業を招く。
貴賎趣其教 男女随彼言 衆人如狂 万民似酔 善者難慣干心 悪者易染干神之故也。
- 貴賎その教えに趣き、男女彼の言に随い、衆人狂うがごとし万民酔ふに似たり、善は心に慣れ難く、悪は易く
神 に染むの故なり。
或称之念仏宗 或号之浄土宗。
- 或いはこれ念仏宗と称し、或はこれを浄土宗と号す。
夫浄土者万善之所期 念仏者 諸宗通規。
- それ浄土は万善の所期、念仏は諸宗の通規なり。
何以此両事 別立為一宗哉。
- 何んぞ、此の両事を以つて別立して一宗となすか。
抑件輩謗鎮国之諸宗 呼曰雑行 立放逸之一法名正行 奇恠之至。
- そもそも件の輩、鎮国の諸宗を謗り、呼びて雑行といふ、放逸の一法を立て正行と名づく奇恠の至りなり。
禁遏有余 何況不蒙公家処分 恣建新儀之邪宗 早被下厳重之紫泥 欲伏訴訟之丹地矣。
- 禁遏するに余りあり、いかにいわんや公家の処分蒙むらざれば、恣に新儀の邪宗を建てん、早く厳重の紫泥[2]を下さるべく、訴訟の丹地を伏して欲せんとなり。
一向専修の党類、神明に向背す不当の事
一、一向専修党類向背神明不当事
- 一、一向専修の党類、神明に向背する不当の事。
右吾朝者神国也。敬神道為国之勤勤。討百神之本無非諸仏之迹。
- 右、わが朝は神国なり。神道を敬まうを国の勤勤と為す。百神の本を
討 ぬるに、諸仏の迹 に非ざるは無し。[3]
所謂伊勢大神宮。正八幡宮。加茂松尾日吉春日等 是釈迦薬師弥陀観音等示現也。各卜宿福之地 専調有縁之機 為糺善悪之業因。
- いわゆる、伊勢大神宮。正八幡宮。加茂・松尾・日吉・春日等は、これ釈迦・薬師・弥陀・観音等の示現なり。おのおの宿福の地を卜して、専ぱら有縁の機を調え、善悪の業因を糺すなり。
更施賞罰之権化 一陽一陰 雖闇垂迹之風儀 大慈大悲深 仰本地之月輪。
- さらに賞罰の権化を施して、一陽一陰、垂迹の風儀
闇 しといえども、大慈大悲深く本地の月輪を仰ぐなり。
是以随其内証資彼法施 念誦博経 依神異 事挙世取信 毎人被益。
- ここを以つて、その内証に随ひ彼の法施を
資 け、念誦博経、神に依りて事(つか)うること異なるも、世を挙げて信を取り、人ごとに益をこうむるなり。
而今専修輩 寄事於念仏 永無敬明神 既失国之礼 何無神之咎。
- しかるに今、専修の輩、念仏に事を寄せて、永く明神を敬うこと無し、既に国の礼を失す、何んぞ神の咎無からん。
当知 有勢之神祇 定廻降伏之罷口矣。又二大集経等 説仏 以一代聖教 付属十方霊神 即奉仏勅 鎮護法宝。
- まさに知るべし、有勢の神祇、廻して降伏の罷口を定むるなり。また二に『大集経』等に仏の説くには、一代の聖教を以つて十方の霊神に付属す。即ち仏勅を奉つりて法宝を鎮護するなり。
是故若受持経教者 必衛護。又生誹謗者 定与楚毒 彼謗法者其報可知。
- この故にもし経教を受持する者は、必ず衛護されん。また誹謗を生ずる者は、定んで楚毒を与ふ、彼の謗法の者はその報(むくい)を知るべし。
就中聞凶徒之行儀 食肉味以更霊神之瑞籬触穢気 以行垂迹之社壇。
- なかんづく、凶徒の行儀を聞くに、肉味を食し以つて、霊神の瑞籬(みずがき)に更(こもごも)穢気に触れしめ、以つて垂迹の社壇に行くとなり。
即是十悪五逆 尚預弥陀之引接。神明明道争妨極楽の往生矣云々。
- 即ちこれ、十悪五逆すらなお弥陀の引接に預からん。神明明道、争(いか)でか極楽の往生を妨げんやと云々。
有心之人蓋誠此言正犯神国之法 寧避王家之刑哉。
- 有心の人、けだしこの言を誠として、正しき神国の法を犯す、けだし王家の刑を避けざるや。
一向専修、倭漢の礼に快からざる事
一、一向専修倭漢礼不快事
- 一向専修、倭漢の礼に快からざる事。
右案慈覚大師入唐礼記 唐武宗皇帝会昌元年勅令 章敬寺鏡霜法師於 諸寺伝 弥陀念仏教。毎寺三日巡輪不絶。
- 右、慈覚大師入唐礼記を案ずるに、唐の武宗皇帝、会昌元年勅して章敬寺の鏡霜法師、諸寺に於いて弥陀念仏の教えを伝えしむ。寺毎に三日巡輪して絶えず。
同二年 廻鶻国之軍兵等 侵唐堺。同三年河北道之節度使 忽起乱。其後士蕃国 更拒命 廻鶻国重奪地。
- 同二年。廻鶻国の軍兵等、唐堺を侵す。同三年、河北道の節度使たちまち乱を起す。其の後士蕃国、更に命を拒む、廻鶻国重ねて地を奪ふ。
凡兵乱同泰項之代 災火起 邑里之際。何況武宗大破仏法 多滅寺塔不能撤乱。遂以有事{已上趣意載之}
- おほよそ兵乱は、泰項の代に同じく、災火邑里の際に起きん。何に況んや武宗大いに仏法を破し、多くの寺塔を滅し乱の撤すること能わず。遂に以つて有事なり。{已上趣意載之}
是則懇信受浄土之一門依不仰護国之諸教
- 是れ則ち
懇 に浄土の一門を信受し、護国の諸教を仰がざるに依るなり。
而吾朝弘通一向専修 以降国属衰微 俗多艱難。
- しかるに吾朝に一向専修を弘通する、以つて降国衰微に属せしめ俗多く艱難するなり。
偶頼陛下伏明之徳 幸遇海内安穏之時 早改前非宜滅後悪。夫会昌天子之但伝念仏也。
- たまたま陛下伏明の徳に頼(よ)り、幸ひに海内安穏の時に遇へば、早く前非を改め宜しく後悪を滅したまへ。それ会昌天子の但だ念仏を伝へたればなり。
依凶例於万代 源空法師之偏勧称名也。
- 凶例の万代に依るとは、源空法師の
偏 へに称名を勧むることなり。
胎濫行於四方 矮漢之風儀彼此雷同。
- 濫行を四方に
貽 せば矮漢の風儀、彼此雷同せん。
抑弥陀者娑婆有縁之如来。称名者彼仏甚重之本願也。
- そもそも弥陀は娑婆有縁の如来なり。称名は彼の仏の甚重の本願なり。
何依専修称名之業 還招国土衰乱殃哉。今此申状深有子細 牛乳有上薬也。若雑毒如成害。
- 何んぞ専修称名の業に依りて、還りて国土衰乱の
殃 を招かんかや。今、この申状、深く子細有り、牛乳は有上の薬なり。もし毒を雑 へば害を成さんが如し。
念仏者善本也。若雑悪定致殃。
- 念仏は善本なり。もし悪を雑へれば定んで
殃 を致す。
而近来専修党 仮名於念仏 懸思於誹法 称名者心太弱。誹法者罪尤重。
- しかるに近来専修の党、仮名の念仏に於いて、思いを誹法に懸けん。称名は心、太(はなはだ)弱く、誹法は罪もっとも重し。
已是雑毒之乳也。争有現当之益哉。彼之設雖謗諸経諸仏 非浄土之 只唱一声十声 必遂往生之望。
已 に是れ雑毒の乳なり。いかでか現当の益有るや。彼はこれ設ひ諸経・諸仏を謗ると雖ども、浄土の障 に非ず、ただ一声十声唱ふれば必ず往生の望を遂ぐと。
是以釈迦薬師等尊容対之 而無致和南 法花般若等之経巻奪 之而投猛火更違背 平等之本誓。不可順弥陀之弘願。
- ここを以つて釈迦・薬師等の尊容これに対し和南を致すこと無く、法花・般若等の経巻を奪いてこれを猛火に投ずるは、
更 に平等の本誓に違背す。弥陀の弘願に順ぜざるなり。
就中弥陀如来久修 権実法門一円満菩提妙果 因玆一言誹法者 諸仏不救之。
- なかんずく、弥陀如来、久しく権実の法門を修して菩提の妙果を円満す、玆に因つて一言の法を謗る者は諸仏これを救いたまわず。
彼咎謗顕密之法論 豈非破弥陀之法身乎。
- 彼の咎、顕密の法論を謗るは、あに弥陀の法身を破すに非ずや。
又案般若経等云 衆経者仏母也。諸仏者法子也。敬一句之法 令喜十方之仏 俗之所敬有寡而悦者衆矣。
- また般若経等を案ずるに云く。衆経は仏母なり。諸仏は法子なり。一句の法を敬うは十方の仏を、喜ばしめたまふ、俗の敬ふ所あるは
寡 く悦ぶ者は衆 し。
当知二世要道専在帰法之誠 法花云此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然文。
- まさに知るべし、二世の要道は専ぱら帰法の誠に在り、法花に云く、此の経
持 ち難し、もし暫くも持 たば、我、即ち歓喜すと、諸仏もまた然なりの文。
諸仏之中何除弥陀乎。凡誹法之罪受待之福諸経誠証不可勝計。
- 諸仏の中、何んぞ弥陀を除かんや。おおよそ誹法の罪、受待の福、諸経の誠証、勝計すべからず。
而今濫悪之輩充満国土 十方賢聖 何垂感応{是一}。
- しかるに今、濫悪の輩、国土に充満す、十方の賢聖、何んぞ感応を垂れんや{是の一}。
又彼輩云 真言止観之修行 法相三論之学業 只為名利之道 永非出離之要云云。
- また彼の輩の云く、真言止観の修行、法相三論の学業、ただ名利の道と為して、永く出離の要に非ずと云云。
愚痴之道俗 深信此言 因玆 鎮国高僧軽之 如芥蔕 練行名徳視之 同泥土。
- 愚痴の道俗、深く此の言を信ず。玆に因つて鎮国の高僧、これを軽しめること
芥蔕 の如くし、練行の名徳これを視るに泥土と同じくす。
全不敬福田 何得安国家乎{是二}。
- 全く福田を敬せず、何んぞ国家を安んずるを得んや{是の二}。
夫人倫之行莫大於孝道之道 在遵先例。
- それ人倫の行、孝道の道に於いて、大に莫くんば先例に遵ふに在り。
是以非先王之法言者 弗敢言 非先王之徳行者 弗敢行。而吾朝者欽明皇帝王於天下以来。
- こを以つて先王の法言に非ずば、敢言に弗(もと)り 先王の徳行に非ざれば敢行に弗(もと)るなり。しかるに吾朝は欽明皇帝王の天下を以つて来(このかた)。
蕃侯初伝仏法 儲君専弘聖典 四海悉帰鵝王。
- 蕃侯、初めて仏法を伝へ、儲君[4]、専ぱら聖典を弘め、四海悉く鵝王に帰す。
八挺同敬衆教 蘭寺立国郡 雁塔多都鄙 依其機感各 定本尊。
- 八挺[5]、同じく衆教を敬まい、蘭寺国郡に立し、雁塔都鄙に多し、其の機感に依つて各(おのおの)本尊を定むるなり。
或薬師或釈迦有縁之所進更以不一同。
- 或いは薬師、或いは釈迦、有縁の進むる所、更に以つて一同ならず。
況又始置法花般若之講会 磯請米(来?)葉後昆之繁昌。
- 況んやまた始めに法花・般若の講を置き、磯に請来の葉[6]、後昆に繁昌す。?譏
先人徳行其来尚矣。
- 先人の徳行、其の来るところ
尚 ぶなり。
而一向専修興盛之後 非弥陀者 不拝尊容 非念仏者 不聴法音。
- しかるに一向専修の興盛の後は、弥陀に非ざれば尊容を拝せず、念仏に非ざれば法音を聴かず。
人心諂曲祖業欲墜 不孝之罪以何如之。
- 人心、諂曲し祖業を墜せんと欲する不孝の罪、何を以つてこの如きか。
先霊含恨 上天生瞋歟{是三}
- 先霊、恨を含み、上天瞋りを生ぜんものか。{是の三}
以音衷楽 知国盛衰。詩序日治世之音 安以楽其政和乱世之音 怨以忿其政乖亡国之音 衷以思其民困云云。而聞近来念仏之音 背理世済民之音 己成衷懃之響 是可己国之音矣{是四}。
- 音、衷楽を以つて国の盛衰を知る。詩の序に日く、治世の音、安きを以つて楽しむは、其に
政 和らげばなり、乱世の音は、怨みて以つて忿(いか)れるは其の政、乖 けばなり、亡国の音は衷しみて以つて思ふは、其の民困(くる)しめばなりと云云[7]。しかるに近来念仏の音を聞くに、理、世の済民の音に背き、己に衷懃の響きを成ず、是れ己に国の音とすべきや{是の四}。
出家厭世之輩古来其人多矣。銷名於朝市 晦跡於山藪 閑修浄業 皆遂往生 伝記所載不可勝計。
- 出家厭世の輩、古来其の人多し。名を朝市に
銷 し、跡を山藪に晦 まし、閑 に浄業を修し皆往生を遂げんこと、伝記の所載勝計すべからず。
而当世一向専修為体也。結党成群 闐城 溢郭 槐門棘路多帰此教。
- しかるに当世の一向専修の体を為すは、党を結び群を成し城に
闐 ち郭に溢 れ、槐門・棘路、多く此の教えに帰す。
甕牖繩枢皆入 其道耳目見聞 莫不恠之。弓馬之客筆硯之士多抛る箕裘之業 半作素食之身 若尚不降勅制 恐終失良人一歟。
甕牖 繩枢 [8]、皆な其の道に入る、耳目見聞これを恠 しまざるは莫し。弓馬の客、筆硯の士、多く箕裘の業 を抛 ちて半 ば素食の身と作 る、もしなお勅制を降 さざれば、恐らく良人を終に失するものか。
諸宗之凌廃吾朝之衰弊 案事之大概 職而由斯{是の五}。
- 諸宗の凌廃、吾朝の衰弊、事の大概を案じる職の由は斯れなり{是の五}。
諸教修行を捨てて専念弥陀仏が廣行流布す時節の未だ至らざる事
一、捨諸教修行 而専念弥陀仏広行流布時玆未至事。
- 一つには、諸教の修行を捨て、専ら弥陀仏を念じて広行流布の時は、ここに未だ至らざるの事。
右双観経 説念仏法門之文云 当来之世経道滅尽 我以慈悲哀愍 特留此経 止住百歳 云々。
- 右、双観経[9]に念仏法門を説くの文に云く、「当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん」と。云々
慈恩西方要訣 釈此文云。
- 慈恩、『西方要訣』に、この文を釈して云く。
如来説教 潤益有時。末法万年余経悉滅。弥陀一教 利物偏増時 経末法満一万年。一切諸経。並従滅没。釈迦恩重。留教百年云々。
- 「如来の説教、潤益に時あり。末法万年に余経悉く滅す。弥陀の一教、物を利すること偏えに増す時、末法の満一万年を経て、一切の諸経、並びに滅没するにより、釈迦の恩重くして教を留むること百年せん」と。云々
余経悉滅者 即指末法万年後也。
- 余経ことごとく滅すとは、すなわち末法万年の後を指す也。
既云 時経末法満一万年 一切諸経等 従滅没。
- すでに時、末法を経て一万年を満てて、一切の諸経等、滅没に従ふと云へり。
是以末法万年内 更為経道滅尽期乎。
- これを末法万年の内なるを以って、更に経道滅尽の期となすや。
就中 慈恩釈者 依善見律。彼律文云 如来滅後一万年中 前五千年 名為証法。後五千年 名為学法。
- なかんずく慈恩の釈は『善見律』による。かの律の文に云く、如来滅後一万年のうち、前の五千年を名づけて証法となし、後の五千年を名づけて学法となす。
一万年後経書滅没 唯有剃刀頭 着袈裟僧。{取意}
- 一万年の後、経書滅没し、ただ頭を剃刀し袈裟を着す僧あり。
慈恩 正指此時 而謂余経悉滅也。
- 慈恩、正しくこの時を指して余経ことごとく滅すと謂ふなり。
当知 於正像末法之間 非念仏偏増之時矣
- まさに知るべし、正像末法の間において、念仏ひとへに増の時に非ざるなり。
而彼等云 釈尊滅後 星霜眇焉 設致帰命 有何之験。去聖而遠之故也。
- しかるに彼等の云く、釈尊の滅後、星霜はるかなり。もし帰命を致すに何ぞこの
験 あらん、聖を去ること遠きのゆえなり。
又時、入末法 余経已滅 弥陀念仏之他 更法無。而可信是以人師釈云。
- また時、末法に入りて余経すでに滅す。弥陀念仏の他に更に法無し、しかれば信ずべし。これを以て人師の釈に云く。
末法万年 余経悉滅 弥陀一教 利物偏増 云々。
- 「末法万年に、余経ことごとく滅して、弥陀の一教、物を利することひとえに増せらん」[10]と、云々。
魯愚之至 晋未度 彼人師 釈是意如右 穏時経末法 満一万年之文。
- 魯愚の至り、すすむに未だ度せずとは、彼の人師の、その意を釈すに右のごとし、時、末法を経んとは満一万年の文を隠すなり。
称末法万年 余経悉滅之言。惟其意 越欲朦時人也。
- 末法万年、余経ことごとく滅すの言をはかるに、ただその意、朦(おぼろ)げなる時の人を、越しめんと欲して也。
何況 如来出世 有更異説 如天台浄名疏等。
- いかにいわんや、如来の出世に更に異説あり、天台『浄名疏』等のごとし。
以周荘王 他之代 為釈尊出世之時。
- 周の荘王、他の代をもって、釈尊出世の時となす。
自其代以来 未満二千年 像法最中也。
- その代より以来、未だ二千年に満たず、像法の最中なり。
不可言末法 設雖末法中 尚是証法時也。
- 末法と言うべからず、たとひ末法中といえども、なおこれ証法の時なり。
若立修行 蓋得利 加之法花 有於像法中之説。
- もし修行を立つるに、なんぞ利を得ざる、加えてこの法花に像法中の説あり。
般若 有八千年中之文。大教之流行 豈非是時乎。
- 般若に八千年中の文あり。大教の流行、あにこれ時にあらずや。
而一向専修之輩 於説教繁昌之時 立衆経滅蓋之行事 之反覆可謂時変。
- しかるに一向専修の輩、説教繁昌の時において、衆経滅蓋の行を立する事、これ反覆して時を変ずと謂ふべし。
抑大師釈尊者 聖容満月之影 雖隠鶴林之雲 法身 照日光盛耀馬台之闇。
- そもそも、大師釈尊は聖容満月の影、鶴林の雲に隠るといえども、法身、日光盛耀して馬台の闇を照らす。
若不遇釈迦之遺教者 何得知弥陀之悲願乎。
- もし釈迦の遺教に遇わざれば、何んぞ弥陀の悲願を知ることを得んや。
不知此重恩 還生其驕慢 永不顧恩儀 何是異木石。
- この重恩を知らざるは、還ってその驕慢を生じ、永く恩儀を顧りみず、何んぞこれ木石に異らんや。
孔子云 不敬其親 而敬他人 謂之悖礼。
- 孔子云く、その親を敬せずして他人を敬するは、これを悖礼と謂う。
深忽緒 教主等閑 敬他仏 狐不反其塚 葉不敞其根者 蓋此謂歟乎。
- 深く教主を忽緒し等閑にして他仏を敬するは、狐その塚にかえらざる、葉その根をひろげざるとは、けだしこの謂なるか。
滅謗法之罪 被加禁遏之制矣。
- 謗法の罪を滅し、禁遏の制を加えらるべしや。
一向専修の輩、経に背き師に逆う事
一、一向専修の輩背経逆師事。
- 一、一向専修の輩、経に背き師に逆う事。
右彼輩云 若持戒律 若敬他仏。或修観念 談経論称名之外 皆是雑行也。
- 右、彼の輩の云ふ、もし戒律を
持 ち、もし他仏を敬い、或いは観念を修し、或いは経論を談ずるは、称名の外は皆これ雑行なり。
雖致精誠 無生浄土 不論不浄 不論乱心。但念弥陀即得往生。
- 精誠を致すといえども浄土に生ぜず、不浄を論ぜず乱心を論ぜず、ただ弥陀を念ずるに即ち往生を得ん。
十悪五逆 尚非極楽之妨 無慚無愧。豈簡安楽之業耶。若怖悪業者 疑仏願之人也云々。
- 十悪五逆、なお極楽の妨げに非ず、無慚無愧、あに安楽の業に簡(えら)ばんや。もし悪業を怖る者は、仏願を疑うの人なりと。云々
偽妄之旨言 言語道断。
- 偽妄の旨、言語道断なり。
披観無量寿経 検九品業 上品三輩中品三生者 読誦大乗 堅持浄戒 是其業因也。
- 『観無量寿経』を披きて、九品の業を検するに、上品三輩・中品三生には、大乗を読誦し浄戒を堅持す、これその業因なり。
乃至以聞十二部経之首題 而為下品上生之業因 但至下品下生 独勧十声称名 彼等強執下品之業 還謗上品之因乎。
- 乃至、以つて十二部経の首題を聞く、しこうして下品上生の業因となす、ただ下品下生に至りて、独り十声の称名を勧む、彼等強く下品の業に執して、還りて上品の因を謗るや。
加之偏誦経典 得舎蓮迎 専守戒律 遇白毫光之輩伝録 盈緗帙 行状溢於漂嚢。
- しかのみならず、偏に経典を誦せば舎蓮の迎を得、白毫光に遇うの輩の伝録、緗帙[11]に
盈 ち行状漂嚢に溢 る。
彼道綽善導者 専修之祖宗也。
- 彼の道綽・善導は、専修の祖宗なり。
而深怖衆悪 兼修事善 若是疑仏願之人歟。将又堕悪趣之輩歟。
- しかれば深く衆悪を怖れ兼ねて善を修事す、もしこれ仏願を疑うの人か。まさにまた悪趣に堕すの輩なるかや。
世有一紙書 号善導遺言。
- 世に一紙の書あり、善導の遺言と号す。
彼文云 吾持諸禁戒 不犯一々戒 未来世比丘 不捨戒念仏 雖念仏 捨戒往生即難得 乃至無至 懺悔心 万之不生云々。
- 彼の文に云く、吾、諸々の禁戒を持ち、一々の戒を犯せじ、未来世の比丘、戒と念仏を捨てざれ、念仏すといえども戒を捨てれば往生は即ち得ること難し、乃至、懺悔心の至る無きは、万(よろず)これ不生と。云々
彼党類造悪 而無改悔之心 破戒而無堅持之 望背経 違師 依憑在誰 凡入彼宗之人者 先棄 置万善 交其宗之類者 即不怖大罪 対仏像経巻 不生敬重之思 入寺塔僧坊 無憚 汚穢之行 争立懈怠放逸之行 得生 清浄善根之界。
- 彼の党類の造悪は、改悔の心なく戒を破し、経に背き師に違すことを望み、依憑在るは誰ぞ、およそ、彼の宗に入る人は、まず万善を棄て、その宗に交る類は即ち大罪を置きて怖れず、仏像経巻に対して敬重の思いを生ぜず、寺塔僧坊に入りて汚穢の行も憚り無し。いかでか懈怠放逸の行を立て、清浄善根の界に生を得べし。
北轅将過楚 緘石而為宝者歟。
- 北に轅してまさに楚を
過 つ[12]、石を緘じて宝となさんものか。
夫諸仏大悲者 不捨悪逆 真如理観者 無辨 定散善悪不二邪正一徹。是説教誠説也。
- それ諸仏の大悲は、悪逆を捨てざれども、真如の理観は、定散善悪の不二邪正一徹を辨ずること無し。これ説教の誠説なり。
七仏通戒を援用しての論難
然而造悪必堕獄 修善定生天 自業自得之報。不亡不失之理也。
- しかれば悪を造れば必ず獄に堕し、善を修せば定んで天に生ず、自業自得の報いなり。不亡不失の理なり。
是以 諸悪莫作 諸善奉行 寧非七仏通戒誠乎。
- ここをもって、「諸悪莫作 諸善奉行」いずくんぞ七仏通戒の誠に非ずや。
大陽雖有光明 盲者不見之 大悲雖無偏頗 罪人不預之。
- 大陽、光明ありといえども、盲者、これを見ず、大悲、偏頗なしといえども、罪人これに預らずなり。
而今只特徴弱之称名 不僤極重悪業 詐偽之至 責而有余矣。
- しかるに、今ただ特に徴弱の称名、極重の悪業を憚からざる、詐偽の至り責めて余りあるなり。
一向専修の濫悪を停止して護国の諸宗を興隆せらるべき事
一、可被停止一向専修濫悪興隆護国諸宗事
- 一向専修の濫悪を停止して護国の諸宗を興隆せらるべき事
右仏法王法互守互助 喩如二鳥二翅 猶同車両輸。
- 右、仏法と王法は互に守り互に助く、喩へば二鳥の二翅の如し、猶お車の両輸に同じ。
案大集経説 以仏法之精気 益鬼神之精気 鬼神有精気 則五穀多精気 五穀有精気 則人倫豊楽。
- 『大集経』の説を案ずるに、仏法の精気を以つて鬼神の精気を益す、鬼神に精気有らば則ち五穀の精気多し、五穀に精気有れば則ち人倫豊楽なり。
是以深敬仏法 不背王法 此四輪転互保国土。
- 是を以つて深く仏法を敬し、王法に背かず此の四輪転互して国土を保たん。
若仏法属衰微 則鬼神飢法味 彷吸草木之精 喰穀麦之気 人倫食之心 不正直不肯敬仏法僧之三宝 永迷悶 貪瞋癡之三毒{取意載之}
- 若し仏法衰微に属せば、則ち鬼神法味に飢え、彷(さまよ)つて草木の精を吸い、穀麦の気を喰らい、人倫これを食して、心、正直ならずして仏法僧の三宝を敬することを肯がわず、永く貪・瞋・癡の三毒に迷悶す{取意載之}
而今誹謗仏法之輩 諸国往々有之 除六字称名 之外無衆善勤行之人 国土衰微此誰過乎。
- しかれば今、仏法誹謗の輩、諸国往々にこれ有り、六字の称名を除きてこれの外に衆善勤行の人無し、国土衰微するは此れ誰の過なるや。
爰文帝讃歎仏法 談侍中何尚之 日若使 率土之浜 皆涼 此化 則朕坐致太平云々。
- ここに文帝、仏法を讃歎し、侍中何ぞ尚おこれを談ぜんの日、若し率土の浜に皆、此の化を涼せしめば、則ち朕坐太平を致すと云々。
尚之対云 悠々之徒 多不信法 若使家々持戒 則一国止刑云云。
- なおこれに対し云く、悠々の徒、多く法を信ぜず。若し家々に持戒せしめれば則ち一国の刑止むと云云。
実哉 斯言最可聞取 仏法有五戒 世間有五常 其言雖異 其旨惟同。
- 実なる哉、斯の言最も聞取すべし、仏法に五戒有り世間に五常有り、其の言異なるといへども其の旨惟だ同じ。
若破仏家之戒行者 争守王者之律令乎。
爰源空建立邪宗 以来戒律更隠 礼誼又廃。早施賢王之徳化 当救闇民厄厄。
- 若し仏家の戒行を破せば、争(いか)でか王者の律令を守らむや。
- ここに源空邪宗を建立して以来、戒律更に隠れ、礼誼も又廃す。早く賢王の徳化を施し、当に闇民の厄厄を救わん。
案承和二年官符云
自今以後 宜令天台宗弘伝天下 諸国講読師 任天台宗僧{取意載之}
- 承和二年の官符に案ずるに云く。
- 自今以後、天台宗を天下に弘伝せしめむと宜し、諸国講読の師を天台宗の僧に任ず{取意載之}
而旧風漸絶故 儀如忘 今上陛下政入幽玄 三皇加一矣。
- しかれば旧風漸く絶し故儀忘るるが如し、今上陛下の政(まつりごと) 幽玄に入り、三皇一を加へんや。
徳反淳素 五帝為六焉。継絶興廃 更期何時 然則弘通戒定恵於諸国 仰崇仏法僧於一天 処専修張本於遠流 永不令帰本郷者 太平之化某年可得矣。
- 徳、淳素に反し、五帝を六と為すや。絶を継ぎ廃を興すは、更に何の時を期さん。然れば則ち戒定恵を諸国に弘通し、仏法僧を一天に仰崇し、専修の張本を遠流に処し、永く本郷に帰らざらしめば、太平の化某年を得べし。
以前条々言上如件。
- 以つて前の条々を言上すること件の如し。
抑愚蒙輩云 時既衰徴人漸澆訛仏法人法 難救興云云。
- そもそも愚蒙の輩の云ふに、時、既に衰徴し人漸く澆訛せり。仏法人法、救興すること難しと云云。
悲哉一言実畿亡道。貞観七年魏微日 亡則思治 思治 則易教五帝三王 不易人而治。行二帝道 則帝行王道 則王云云。
- 悲なる哉、一言は実に道を亡ずる畿なり。貞観七年魏微の曰く[13]、亡には則ち治を思ふべし。治を思へば則ち教へ易し。五帝三王は、人を易(か)へずして治む。帝、道を行へば、則ち帝たり、王、道を行へば則ち王たりと云云。
太宗毎力行不倦 数年間海内康寧 是知国之興廃。
- 太宗、毎に力行して倦まず、数年の間にして海内康寧なり。是れ国の興廃を知るなり。
未依時之前後 設難為末代 設雖為乱世 明王敬仏神 賢相好 礼楽者国家繁昌待 而可得何況如来之教籍者 常住之法宝也。
- 未だ時の前後に依らざる。設ひ末代と為す雖も、設ひ乱世と為すと雖も、明王の仏神を敬し、賢相礼楽を好めば国家の繁昌を待ことを得べし。何に況んや如来の教籍は、常住の法宝なり。
若致二信心者 豈無感応乎。
- 若し信心を致せば、豈に感応無きや。
只可顧心之強弱 何更疑法之存没 望請恩裁被下停止一向専修 興隆八宗教行者 仏法王法成万歳之昌栄 天神地祇 致一朝之静謐 衆徒等不堪法滅之悲 誠恐謹言。
- ただ心の強弱を顧べし、何ぞ更に法の存没を疑わん。望み請うらくは恩裁を被むり一向専修の停止を下して、八宗の教行を興隆せば、仏法王法万歳の昌栄を成じ、天神地祇一朝の静謐を致す。衆徒等法滅の悲に不堪なり。
貞応三年[14]五月十七日都維那法橋上人位矩尊
寺主法橋上人位良印
上座法橋上人位仁昇
此 日 被 上 奏
宣旨
専修念仏事停廃 宣下重畳之上偸 尚興行之条 更非公家之
六月廿九日 左衛門佐信盛奉
進上 天台座主大僧正御房政所
追 言 上
不知実名兵衛人道事不日可被尋 仰関東之由其沙汰侯也 重頓首謹言
専修念仏事 勅答之趣論旨如此 不日可令披露山上給者 和尚御房御気色如此 伋執達如件
六月廿九目 権大僧都
執当法印御房
- ↑ 衿はエリ、袖はソデのことで、衣服の襟と袖は特に目立つ部分であることから、集団を率いる重要なポストを「領袖」と言うようになった。領は衣のえりのこと。
- ↑ 紫泥(しでい)。天皇が文書を出す時の封泥(封蝋)のこと。ここでは念仏停止の綸旨を出すことを意味する。
- ↑ 当時は仏が神となって垂迹するという、本地垂迹説が有力であった。
- ↑ 皇太子を意味するが、ここでは聖徳太子のこと。
- ↑ 八挺(はっちょう)。八宗のこと。覚りへ向かう船の八つの艪(ろ)に喩える。挺は艪のこと。
- ↑ 請来された経典の意か。貝多羅葉(ばいたらよう)。
- ↑ 『礼記』に、「凡音者、生人心者也。情動於中、故形於聲。聲成文謂之音。 是故治世之音安以楽、其政和。乱世之音怨以怒、其政乖、亡国之音哀以思、其民困。声音之道、与政通矣。(およそ音は人心より生ずる者なり。情、中(うち)に動く、故に声に形(あらわる)。声文を成(な)す、之(これ)を音と謂(い)う。是の故ゆえに治世の音は安くして以って楽しめるは、其の政(まつりごと)和らげばなり。乱世の音は怨みて以つて怒れるは、其の政(まつりごと)乖けばなり、亡国の音は哀しみて以つて思うは、其の民、困(くる)しめばなり」とある。『往生礼讃』等を誦し、念仏と唱和する情意の溢れた声が亡国の音の響きと見られたのであろう。これは理の仏教から事の仏教、つまり無知で救われざる者とされていた「無辺の極濁悪を拯済したまふ」民衆の仏教の成立なのであった。法然聖人の説かれた選択本願の教えは、いわゆる宗教改革運動であり、既成の仏教側と当時の為政者によって糾弾され弾圧される運命であった。これを見据えて書かれたのが御開山の『教行証文類』であった。その思想は、やがて蓮如上人をして日本の津々浦々に展開していくのであった。
- ↑ 貧しく粗末な家の意。「甕」はかめで、「牖」は窓、「枢」は扉の軸のことで、割れたかめの口を壁にはめ込んで窓とし、「縄」で戸をつないでいる様子からいう。
- ↑ 『無量寿経』のこと。次下の文は、『無量寿経』下巻の流通分の語。
- ↑ 『往生要集』第三 極楽証拠の文。p.890
- ↑ 緗帙(けんしょう)。書物のこと。
- ↑ 北轅適楚(ほくえんてきそ)の故事。 教えと行動とが食い違っていることのたとえで、車のながえを北方に向けて、南方の楚の国へ行こうとする意味。「轅(ながえ)」牛馬に引かせるために車の両側に突き出た二本の棒。「楚」中国の南にあつた国の古名。
- ↑ 『貞観政要』にある太宗と魏微の故事を引く。
- ↑ 貞応3年は、同年11月20日に元仁と改元。御開山は、改元後の年号を使われるのが通例であった。なお、御開山は当事関東に居られたので、京都での改元を知られたのは20日ほど経過してからであろう。このことから『教行証文類』の執筆時を元仁元年とされたのではなく、『延暦寺奏状』の出された貞応三年〔改元して元仁〕を基準年として末法の時代を考察されたのであろうp.417。次下に延暦寺の開山である最澄の『末法灯明記』を引文され、この奏状にある「諸教修行を捨てて専念弥陀仏が廣行流布す時節の未だ至らざる事」への反論として、正・像・末の時代判定の考証とされていることは明らかであろう。そのような意味において、しばしば繰り返される念仏弾圧に対して正面から反論する書が『顕浄土真実教行証文類』であった。