精進
提供: WikiArc
しょうじん
【左訓】「このみすすむるなり」(行巻 P.145)
つとめはげむこと。六波羅蜜の一つ。→六波羅蜜
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
しょうじん 精進
梵語ヴィーリヤ (vīrya) の意訳。毘梨耶(びりや)と音訳する。ひたむきに励むこと。仏道修行につとめ励むこと。また、 つつしむこと。六波羅蜜の一。八正道の一。
後世、 転じて肉類などを食べずに菜食することをもいうようになった。(浄土真宗辞典)
- →賢善精進
◆ 参照読み込み (transclusion) jds:精進
しょうじん/精進
一
仏道修行に邁進すること。ⓈvīryaⓅviriyaが相当。毘梨耶、毘離耶などと音写し、勤、進、勇猛などとも訳される。ひたすら努力して怠けることなく、仏道にかなった善行を勇敢に実践し続けることを意味する。四神足・五根・五力・七覚支などの一つに数えられる。ただし、八正道中の正(Ⓢsamyag-)精進の原語はⓈvyāyāma(Ⓢvi-ā-√yam「戦う」の派生語)で、Ⓢvīrya(Ⓢ√vīr「勇敢である」の派生語)とは異なる語源であるが、ほぼ同意に用いる。大乗仏教では、菩薩の修行徳目である六波羅蜜・十波羅蜜の一つでもある。また、精進は懈怠(怠けて励まないこと)や放逸(気ままでおろそかにすること)に相対する言葉で(『大智度論』一五、正蔵二五・一七三上~四上など)、法然も『選択集』八に「精進は懈怠に対する言なり」(聖典三・一五二/昭法全三三三)と釈している。
【参照項目】➡六波羅蜜
【執筆者:榎本正明】
二
仏道を勇敢に実践し続けることの意味から転じて、世俗の生活を捨てて仏門に入ることや、斎(一定の日に戒を守ること)などの一定期間、言語・行動・飲食を制限すること、身心を浄めて不浄を避けること、魚・肉類を食べずに菜食することなどを意味するようになった。このように一定期間身心を浄める意味から、精進潔斎、精進日などの言葉が現れ、魚・肉類を避けた菜食料理のことを精進料理、精進物などと言い表した。この精進の期間に入ることを精進入りといい、期間が終わって平生の生活に戻ることを、精進明け、精進落ちなどという。さらに用法が拡大され、一所懸命に努力すること、品行をよくすることなどをも意味するようになった。法然の時代にすでにこのような精進の意味が広まっていたことが『一百四十五箇条問答』(聖典四・四四九~/浄全九・一一八下~)に種々の精進について問答されることからも明らかである。
【執筆者:榎本正明】