行門・観門・弘願
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第四節 廃立と開会
さて「付属章」では、仏の本願行なるが故に念仏のみを付属すというのならば、本願念仏のみを詳説すればよいのに、何故煩わしく非本願の定散諸善を説かれたのかと問い、それに対して二意をもって答えられる。
答曰、本願念仏行、双巻経中委既説之、故重不説耳、又説定散、為顕念仏超過余善、若無定散、何顕念仏特秀、例如法華秀三説上、若無三説、何顕法華第一、故今定散為廃而説、念仏三昧為立而説。[1]「隠/顕」答へていはく、本願念仏の行は、『双巻経』(大経)のなかに委(くわ)しくすでにこれを説く。ゆゑにかさねて説かざるのみ。
初は念仏が『観経』で詳説されなかったことについて、それは『大経』で委細に説かれたからであるというのである。尚、廬山寺本では、「念仏三昧為立而説」につづいて『大・観二経』の説時の前後が論じられ、寿前観後と判定されている。もっとも原本はカッコでかこまれているから、省略する意図があったと思うが、この寿前観後説が前提されていないと、初めの答が成立しないから論述されたのであろう。しかし「往生院本」も「延応版」も、いずれも省略されている。[2]
答の第二段は、廃すべき定散を詳説された理由をのべられるのであるが、ここに『法華経』「法師品」十を例証として出される。すなわち経に「我所説経典、無量千万億、已説今説当説 而於其中此法華経最為難信難解」[3]「隠/顕」我が所説の経典無量千万億にして、
故知、諸行非機失時、念仏往生当機得時感応豈唐捐哉。当知、随他之前、雖開定散門、随自之後、還閉定散門。一開以後永不閉者、唯是念仏一門。弥陀本願、釈尊付属、意在此矣。行者応知。[6] 「隠/顕」ゆゑに知りぬ、諸行は機にあらず時を失す。念仏往生は機に当り、時を得たり。感応あに唐捐せんや。
といい、すでに時機を失っている随他意方便の定散諸行門と、時機にかなった一開永不閉(一たび開きて永く閉ぢざる)の随自意真実の念仏門とを明確に分判し、弥陀の本願、釈尊の付属に順じて、廃立すべきことを勧誡されている。『選択集』はこの信念をもって廃立義を貫く書だったのである。
ところで法然が用いられる廃立という用語は、もと天台宗で使用されていたものであった。『法華玄義』七下に、経題の蓮華を釈して、為蓮故華、華開蓮現、華落蓮成の三喩をあげ、それを本迹二門にわたって広釈されている。その中迹門[7] における経法の権実に合法すれば三喩は次いでの如く為実施権、開権顕実、廃権立実の三義を表わすといわれている。為実施権とは、爾前の三乗各別の教法は、真実なる法華一仏乗を開顕する為の調機誘引の方便権法として分一説三(一乗を分けて三乗として説いた)されたものであるということである。開権顕実とは、機根が熟すれば、三乗各別の機の執情を開拓し、その蒙を啓くとき、権教即実教、三乗即一乗と権実不二の一乗実教が顕われることをいう。そして廃権立実とは、所対の機縁が純熟して、権即実と開会がなされるならば、唯一乗真実の化益のみが施されるから、未熟の機に対して用いた化導の権用は必要がなくなり、廃されていく。このように権用が廃されて、実用のみが独立することを廃権立実というのである。従ってこの場合廃立とは、経の用、すなわち釈尊の化用に約していうことで、教法の体についていったものではない。教の体をいえば、三乗といえども本来一乗真実であるから、廃すべきものではない。廃すべきものがなければ、立すべきものもないのだから、廃立は成立しない。教体についていえば開権顕実、すなわち開会でなければならないのである。これが天台教学における施、開、廃の体系であった。→開廃会
ところが法然は「随他之前、暫雖開定散門」「隠/顕」随他の前には、しばらく定散の門を開くといへども といって、為実施権的な表現を用いられているが、定散門と念仏門との間に分一説三的な関係があるとは説かれていないから、天台的な意味での為実施権ではなかったとみるべきである。未熟の機に応じて、その機を調機誘引するために暫く開説したものが定散門であるとされるのだから、たしかに暫用還廃の方便法門とみなされていたにちがいないが、分一説三的に、念仏を分って定散としたというものではなかった。従って定散の当体即念仏と開会するような開権顕実の思想は全くなかったのである。それゆえ廃立も、たゞ仏の化用に約するというものではなくて、定散諸行の法門と念仏往生の法門という教体・行体そのものについて廃立を談ぜられる。このようにみていくと廃立という用語は天台宗のそれを依用されたにちがいないが、思想内容はちがっており、法然が天台とはちがった独自の思考形態をもっておられたことがわかるのである。法然の廃立思想は、天台の名目を善導の付属釈の意によって転用し、独自に展開されたものであった。この廃立とは後述するように選択と同意であって、これが法然の宗教を特徴づける名目だったのである。後に親鸞は、法然を伝承して二回向四法という誓願一仏乗の雄大な教義体系を樹立されるが、開会思想は決して用いなかったのは、法然を正確に継承されたからであるといえよう。それに対して、すでにのべたように証空は、巧みに天台の開会思想を導入して、行門、観門、弘願といった独自の教学を樹立していかれたわけであるが、定散即念仏と開会を語るかぎり、定散と念仏の廃立をいってもその廃立思想は、法然のそれと変るところがあったといえよう。</ref>行観の『選択集秘鈔』二(浄全八・三五九頁)に、
傍正要門西山料簡也。爰以山法師事略頌師 法然房切諸行頸 弟子善慧房生取諸行申也。廢立者捨定散諸善位法門也。要門者衆機説返彌陀光明攝定散萬機法 門故山僧達如此申也。
- ◇ 傍・正・要門は西山の料簡なり。ここを以つて山法師事の略頌にも師の法然房は諸行の頸(くび)を切る、弟子の善慧房は諸行を生け取にすると申すなり。廃立とは定散の諸善を捨てる位の法門なり。要門とは衆機に説き返して弥陀の光明は定散の万機を摂すという法門なるゆえに山僧達も此のごとく申すなり。
といっている。法然が所廃とされた定散諸善を、証空は定散諸善は本来念仏体内の善であるから、定散を自力行とみる自力の執心さえ廃捨すれば、定散即念仏と開会され、他力念仏一行になるといわれたことを、「法然は諸行の頚を切り、善慧房証空は諸行を生け取りにした」といわれたのである。</ref>
ともあれ法然は、こうした独自の廃立義をもって当時の仏教界で支配的であった顕密の行業を批判していかれたのであった。特に仏道修行の原点とみなされていた菩提心を非本願の故に所廃の行と判定されたことや、また天台本覚法門における、「我即真如」の理観をはじめとする観念の行業や、『般若』、『法華』等の経典読誦、「随求」、「尊勝」等の陀羅尼や光明真言、阿弥陀真言などを受持する神咒信仰を不付属の麁行として廃捨せしめ、また仏道修行の基礎となる戒律も非本願の故に必須としないといわれたことは、戒律復興運動を提唱していた貞慶や高弁たちからはげしい非難の的となっていく。貞慶の『興福寺奏状』に「右件源空、偏執一門、都滅八宗、天魔所以、仏神可痛」「隠/顕」右件(くだん)の源空、一門に偏執し、八宗を都滅す。天魔の所為、仏神痛むべし。 といい、高弁が『摧邪輪』上に、菩提心廃捨を非難して「汝即如畜生、又是業障深重人也」とか「依汝之邪言、令所化捨離菩提心、汝豈非悪魔之使乎」「隠/顕」汝の邪言に依つて、所化、菩提心を捨離せしむ、汝あに悪魔の使に非ずや。 と口を極めて罵倒したところに、法然の廃立義が、いかに従来の仏教思想と異質であったかを物語っているといえよう。
- ↑ 『選択集』「付属章」(真聖全一・九八一頁)
- ↑ 廬山寺本『選択本願念仏集』(影印本)、往生院本『選択集』(影印本・一七九頁)、延応版『選択集』(影印本・二一七頁)、尚「観経釈」(古本『漢語灯』二・真聖全四・三〇九頁)の初には『大観二経』の説時前後が述べられ、寿前観後説が確定されている。
- ↑ 『法華経』法師品十(大正蔵九・三一頁)
- ↑ 『法華文句』八上(大正蔵三四・一一〇頁)
- ↑ 『選択集』「付属章」(真聖全一・九八二頁)
- ↑ この四行のなか、ことに菩提心については、天台、真言、華厳、といった諸宗の菩提心のほか、善導の菩提心についても関説し「発菩提心、其言雖一各随其宗其義不同、然則菩提心之一句、広亘諸経、遍該顕密、意気博遠、詮測沖・、願諸行者、莫執一遮万、諸求往生之人、各須発自宗之菩提心、縦無余行、以菩提心、為往生業也」(「付属章」・真聖全一・九七七頁)といってその重要性を認めながら、最終的には廃捨すべき行法とみなされたわけである。これについて高弁が『摧邪輪』において痛烈な論難を加えたことは周知の如くである。
- ↑ 迹門(しゃくもん)。「迹」は垂迹(すいじゃく)で、久遠の本仏から垂迹した仏の意。