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鏡の御影

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2022年9月19日 (月) 14:59時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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鏡御影

鏡御影 かがみのごえい

親鸞の絵像。似絵(にせえ)画家である藤原信実の子、専阿弥陀仏の筆。親鸞を立ち姿で描き、その上には覚如筆の讃名がある。親鸞の風格をよく伝えるものとして著名である。親鸞の面貌は鏡に写したかのように繊細に描かれているのに対し、その着衣は素描風である。親鸞の寿像といわれるが、異説もある。讃名は「正信偈」の文で、覚如が延慶3年(1310)に修理した際に現在の文に改めた。本願寺派本願寺蔵。(浄土真宗辞典)

御伝鈔 P.1051

◆ 参照読み込み (transclusion) ファイル・トーク:K-goei.jpg

親鸞聖人 鏡の御影と裏書


鏡御影(かがみのごえい)」の讃嘆銘、

和朝親鸞聖人御影以下、

憶念弥陀仏本願
自然即時入必定
唯能常称如来号
応報大悲弘誓恩 「隠/顕」
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即のとき必定に入る。ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。

の文は、覚如上人による修復以後の墨跡である。覚如上人は「正信念仏偈」の「龍樹讃」にある「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」という信心正因に親しい文と「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」という常称報恩を示す語を用いることによって「信心正因 称名報恩」の義意を強調して顕そうとされたのであろう。ゆえに、この御影の修復時に、あえて下記に示す原讃銘を書き換え改作をされたのであろうと思われる。
以下に、修復以前の親鸞聖人の原讃銘を、『浄土真宗聖典全書』二 p901~902から引用しておく。詳細は同書p886の解説を参照されたし。

{上段}

(本願名號正定業 至心信樂願爲)
(成等覺證大涅槃 必至滅度願成)
(如來所以興出世 唯說彌陀本願海)
(五濁惡時群生海 應信如來如實)
(能發一念喜愛心 不斷煩惱得)涅槃
(凡聖逆謗齊廻入 如衆水入海一)
(攝取心光常照護 已能雖破無明)
(貪愛瞋憎之雲霧 常覆眞)實信心天
(譬如日光覆雲霧 雲霧之下)明無闇
(獲信見敬大慶喜 卽橫超截五惡)趣{文} 
「隠/顕」
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願(第十八願)を因とす。
等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願(第十一願)成就なり。
如来、世に興出したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
凡聖・逆謗斉しく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。
摂取の心光、つねに照護したまふ。すでによく無明の闇を破すといへども、
貪愛・瞋憎の雲霧、つねに真実信心の天に覆へり。
たとへば日光の雲霧に覆はるれども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし。
信を獲て見て敬ひ大きに慶喜すれば、すなはち横に五悪趣を超截す。

[1]

  • 原讃銘を切断塗抹の上、現讃銘を墨書継紙。()内は切断した部分の推定。

{下段}

源空聖人云
當□生死之家
以疑爲所止涅
槃之城以信□
能入{文}「隠/顕」
源空聖人の云く。まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。◇『選択集』信疑決判の文。p.1248
釋親鸞云
還來生死輪轉之家 
決以疑情爲所止
速入寂靜无爲之城
必以信心爲能入{文}「隠/顕」
釋親鸞の云ふ。生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもつて所止とす。すみやかに寂静無為の城(みやこ)に入ることは、かならず信心をもつて能入とすといへり。 「正信念仏偈」源空讃。p.207
  • 原讃銘を切断塗抹の上、描表装。


{裏書}

專阿彌陀佛{信實朝民息也 號袴殿}
奉拜聖人御存生之尊像泣奉圖畫之 末代無雙重寶仰可歸敬之
             毛端不奉違{云々} 所得其證也
{「隠/顕」

{裏書}

専阿弥陀仏{信実朝民の息也 袴殿と号す}
聖人御存生の尊像を拝し奉りて 泣いて之を図画し奉る。 末代無双の重宝なり 仰いでこれを帰敬すべし
            毛端も違い奉らず{云々} 其の証を得る所也
延慶三歲{庚戌}十一月廿八日以前奉修捕遂供養記
        應長元歲{辛亥}五月九日於越州
        敎行證講談之次記之了


新字
{裏書}
専阿弥陀仏{信実朝民息也 号袴殿}
奉拝聖人御存生之尊像泣奉図画之 末代無双重宝仰可帰敬之
            毛端不奉違{云々} 所得其証也

延慶三歳[2]{庚戌}十一月廿八日以前奉修捕遂供養記
        応長元歳{辛亥}五月九日於越州
        教行証講談之次記之了[3]



  1. この「正信念仏偈」の「本願名號正定業」以下「卽橫超截五惡趣」迄の二十句は、『安城の御影』の下部の讃銘と同じであり、またこの文は『尊号真像銘文』p.670で詳しく解釈されておられることに注意。御開山にとっては重要な意味を持っていたのであろう。
  2. 1310年。この年に覚如上人、関東の門徒の賛意を得て大谷廟堂の留守職に就任。
  3. 『存覚上人一期記』によれば、この年(1311)、覚如上人は、息男の存覚上人とともに越前へ下向し大町専修寺の如道に二〇日余にわたり『教行証文類』を講義したといわれる。その時に御開山のご影も持参し開示したのであろう。