大寂静
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【教行信証】星野元豊 p.53
大寂静とは大涅槃のことである。和讃の左訓が示すようにこの大涅槃から阿弥陀の名号を説か
れたのである。外面の容貌がすぐれて清浄であったのは大寂静に住しておられたからである。阿
弥陀仏の本願の名号はこの大寂静から流れ出ているのである。そこに本願の名号の真実の根拠が
あるのである。何故に本願の名号が真実であるのか。それは涅槃にその根柢をおいているからで
ある。涅槃は絶対空、絶対無である。絶対空こそものの真実の根拠である。ものは絶対空におい
てこそ、ありのままをありのままにその真実をあらわにするのである。いま外面の容貌から大寂
静に住していることを証し、そこから流れ出た本願の名号だから真実であり、かつてなかったす
ぐれた容貌だから(大寂静に住しているから)これを出世本懐の教であるというのである。『大無
量寿経』の発起序には「如来無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまう、世に出興する所以は道教
を光闡して、群萠を拯い、恵むに真実の利をもってせんと欲してなり」とあり、同経「重誓偈」
には「衆の為めに法蔵を開きて、広く功徳の宝を施さん」とある。それをうけて親鸞は
「この経の大意は弥陀誓ひを超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀みて、選んで功徳の宝
を施することを致す。」(『全集』⑴・九頁。『講解教行信証』四五頁)
といっている。