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無量寿仏観経

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むりょうじゅぶつ-かんぎょう

 『観無量寿経(かん-むりょうじゅ-きょう)』の御開山 独自の呼称表現。

 我々は通常『観無量寿経』と呼称しているのだが、御開山は「化巻」で、

「つつしんで化身土を顕さば、仏は『無量寿仏観経』の説のごとし、真身観の仏これなり。」(化巻 P.375)

とされておられる。このように『無量寿仏観経』と呼ばれたのは御開山だけである。
なお、曇鸞大師作とされる『略論安楽浄土義』では、

「『無量寿経』の中には(ただ)三輩有り、上中下なり。『無量寿観経』の中には、一品を又分ちて上中下と為す。三三にして九なり、合して九品と為す。」 →略論安楽浄土義#輩品開合(三輩を開く)

と『無量寿観経』呼ばれている。
また、善導大師は『観経疏」の「釈名門」で、

「第二に次に名を釈すとは、『経』に「仏説無量寿観経一巻」とのたまへり。」(「玄義分」釈名門 p.301)

と「無量寿観経」とされておらた。

さて、法然聖人は『選択集』で玄義分の、

「今此観経即以観仏三昧為宗亦以念仏三昧為宗
(いまこの『観経』はすなはち観仏三昧をもつて宗となし、また念仏三昧をもつて宗となす)。」(玄義分 p.305)

の語に着目され、

「この経は観仏三昧を宗となし、または念仏三昧を宗となすと。すでに二行をもつて一経の宗となす」(選択集 p.1270)

と、『観経』には観仏三昧と念仏三昧(南無阿弥陀仏)が説かれているとご覧になった。善導大師の当面では、観仏三昧と念仏三昧は同じであるという意で(また)とされたのであろうが、法然聖人は『観経』は観仏三昧念仏三昧の二行を説く経典であると見られたのであった。一経に二宗を説くことはあり得ないのだが、このように言えるのは、定善散善を説く『観経』の、末代に経の本意を伝える「流通分」に、

汝好持是語(にょこう-じぜご) 持是語者(じぜごしゃ) 即是持無量寿仏名(そくぜじ-むりょうじゅぶつみょう)
(なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり)。」(観経 P.117)

とあることに拠られ『観経』に二宗をみられたのである。
もちろん、『観経』をこのように読めるのは、善導大師の、

「しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。」(玄義分 p.301)

とあり、『観経』は要門を説く釈尊と阿弥陀仏の弘願を説く二尊経であるという指示や流通分の、

「上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。」(*)

の語であった。御開山は、この意を()けられて「化巻」で、

「いまこの『観経』はすなはち観仏三昧をもつて宗とす、また念仏三昧をもつて宗とす。」(*)

と、この念観両宗の意を引文しておられる。そして、この念仏三昧の宗である「無量寿仏」(梵漢相対すれば南無阿弥陀仏)」を上にして、観仏三昧を「」として『無量寿仏 観経』とされたのであろう。

さて、この「観無量寿経」と「無量寿観経」の経題の違いについて論じられたのは幸西大徳嚆矢である。通常は仏の名号とは「阿弥陀仏」であるが、御開山は「行巻」の六字釈で

「しかれば南無の言は帰命なり」(*)

とされ、

「ここをもつて帰命本願招喚の勅命なり」(*)

と、南無阿弥陀仏全体が仏の名号のはたらきであるとされておられる。御開山は「聞」ということを強調されるのだが、法然聖人がしばしば仰った

「たれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。」『西方指南抄』p.997

のお言葉に依られたのであろう。「声について、決定往生のおもいをなすべし」とは、なんまんだぶと称えたら必ず声が耳に届いてくる。その声が、なにゆえ往生決定の行となるかといえば、なんまんだぶと称え聞くことが、阿弥陀仏の選択本願を行じているからである。阿弥陀如来が念仏一行を選び取って、この念仏する者は浄土に往生させるという、本願に相応した行だからである。
このように阿弥陀仏のみならず南無阿弥陀仏全体が名号であると考察されたのも幸西大徳の示唆があったと思われる。その意と御開山が『無量寿仏観経』とされた意を、梯實圓和上の『『玄義分抄講述』から少しく窺ってみよう。


第三講 釈名門

釈名門の概要

 釈名とは「仏説無量寿観経一巻」という経の題名を釈することをいう。古来、「題は一部の総標」といわれるように、経の内容がすべて標示されているから経題を釈すれば『観経』の法義の概要を示すことが出来る。それゆえ序題門につづいて釈名門がおかれるのである。はじめに経題をあげて仏、説、無量寿、観、経一巻のそれぞれについて詳説される。特に「無量寿と言ふは、乃ち是此の地の漢音なり。南無阿弥陀仏と言ふは、又是西国の正音なり」(三四〇頁)といい、さらに梵漢対訳していかれるが、後世この六字全体を名号とみる釈が注目されていく。  善導はその南無阿弥陀仏(帰命無量寿覚)という名号を人法に分け、所観の境である依正二報を詳説し、ついで「観」を釈して能観の心を明していく。そして「経」の意味を釈して、「観経』の法義を結んでいかれるのである。

 ところで善導がここで釈名される経題は、今日一般に拝読しているものが「仏説観無量寿経一巻」となっているのと異なっている。あるいは善導の所覧本がそうなっていたのであろうか。しかし幸西は、この題号によって特異な釈を施していかれる。

無量寿観の意義

 [本文]

 一、「無量壽観経一卷」トイハ題目ニ二ノ法アリ。「無量壽」ト云ハ念佛、彼ノ佛ノ名ヲ念ス。故ニ南無阿彌陀佛ト釋シ御セリ。此ノ義三部ノ題二通ス。「觀」ト云ハ觀無量壽、彼ノ佛ノ色相ヲ観ス。題ノ初二還テ此ノ異ヲ知ラシメムカ為二無量壽ノ下ニ觀ノ字ヲ置ケリ。然ルニ経ハ定散ノ次第ヲミタラス無量壽ノ上二觀ノ字ヲ置ク。若細ク経名ヲ題セハ觀無量壽無量壽経ト云ヘシ。此ノ義ノ為ノ故二無量壽観経ト引ケリ。

 一、従「言無量壽者」下至「故名阿彌陀」已來ハ念佛ヲ釋ス。
 一、従「又言人法者」下至「正明依正二報」已來ハ觀佛三昧ヲ釋ス。「又言人法是所觀之境」トイハ正ク眞身ヲ指ス。「即有其二」已下ハ依正二報通別眞假等、皆眞身觀之方便ナル事ヲ釋セリ。
 一、従「言觀者照也」下至「照彼彌陀正依等事」已來ハ觀相ヲ結ス。

 「意訳」

 一、「無量寿観経一巻」というのは経の題目である。この題目に二種の法がある。
 「無量寿」というのは念仏をあらわしている。それは彼の仏のみ名を念ずることである。ゆえに下に梵漢相対して釈されるとき「無量寿」を南無阿弥陀仏と釈されている。この義は浄土三部経の題のすべてに通ずることである。
 「観」というのは、観無量寿ということで、かの仏の色相(すがた、かたち)を観ずることである。経題を釈するにあたって、無量寿という念仏と、観無量寿という観仏とが、この経に説かれているということのちがいを知らせるために、善導は「無量寿観経」と、観の字の下に置いて示されたのである。しかるに、経には「観無量寿経」となっている。これは、はじめに定善(観仏)を説き、つぎには散善を説いて最後に念仏を説くという順序になっているから、その順序を乱さないように無量寿の上に観の字を置かれたわけである。もし詳細に経名をかかげるということになれば「観無量寿無量寿経」というべきである。こういう道理があるので「無量寿観経」という題目をかかげられたのである。

 一、「言無量寿者」より下の「故名阿弥陀」に至るまでは、念仏三昧に約して釈するものである。
 一、「又言人法者(又人法と言ふは)」より下の「正明依正二報(正しく依正二報を明かす)」に至るまでは、観仏三昧を釈されたものである。
 「又言人法是所観之境(又人法と言ふは是所観の境なり)」というのは、正しく真身をさしている。「即有其二(即ち其の二有り)」以下は、依報、正報について、通と別とがあり、また真と仮との別があることなどを明かすわけであるが、いずれも真身観を成就するための方便の観法であるということを釈したものである。
 一、「言観者照也(観と言ふは照なり)」より下の「照彼弥陀正依等事(彼の弥陀の正依等の事を照らす)」に至るまでは、観の意味と、浄土の依正二報を観ずるという観の相とをあげて観の釈を結んだものである。

 [講述]

 「一、無量壽観経一巻トイハ題目二ニノ法アリ」とは、この題目に二つの意味が含まれているというのである。
 第一は「無量壽」というのは阿弥陀仏の名号を念ずる称名念仏のことで、梵漢対訳して「無量寿と言ふは、乃ち是此の地の漢音なり。南無阿弥陀仏と言ふは、又是西国の正音なり」(三四〇頁)といわれているのと対照すると、「無量壽」という題目には念仏三昧為宗の立場が表されているというのである。第二は「観」で、これは「観無量壽」を略したもので、阿弥陀仏の色相を観ずることである。すなわちこの経の観仏三昧為宗の立場が表示されているとみるのである。こうして『観経』には念仏三昧と観仏三昧の二種の法門が説かれていることを知らせるために、無量寿の下に観の字を置いたというのである。

 ところで我々が拝読している『観経』は、「観無量寿経」となっている。それは初めに定善(観仏)を説き、後に散善(称名)を説いていくという定散の次第を乱さないように初に観の字を置くもので、もし詳細に題名をあげるならば「観無量壽無量壽経」というべきである。これでは冗長にすぎるから、善導は「無量壽観経」という経題を掲げられたのであるといっている。

 「一、従言無量毒者下至故名阿彌陀已來ハ念佛ヲ釋ス」というのは、「無量寿と言ふは、乃ち是此の地の漢音なり」(三四〇頁)から「人法並べ彰す、故に阿弥陀仏と名づく」(三四一頁)といわれた一段は、念仏(称名)の法体を釈したものであるというのである。ここには漢音で無量寿というのを、西国(インド)では南無阿弥陀仏というと六字の名号をあげ、さらにそれを梵漢対訳して、帰命無量寿覚という漢音六字をあげ、また無量寿(法)覚(人)を人法に分釈して阿弥陀仏の義意をあらわされている。これはすべて称名における所称の法体たる名号の義意を明かすものとして、全体を念仏を明かす釈としたものである。このように無量寿を南無阿弥陀仏すなわち帰命無量寿覚という名号の略称とした釈に、幸西は深い意味を読みとっていかれる。すなわち南無までも阿弥陀仏の名号とすることの意義は、のちに別時門の六字釈のところで明かされていく。

 「一、従又言人法者下至正明依正二報已來ハ觀佛三昧テ釋ス」とは、「又人法と言ふは是所観の境なり。即ち其の二有り。一には依報、二には正報なり」(三四一頁)から「向より(このかた) 言ふ所の通別・真仮は、正しく依正二報を明かす」(三四三頁)というところまでは、観仏三昧の内容を通別・真仮の依正二報をもって詳らかにしたものである。ところが幸西は、この釈文のなかの初めの「又人法と言ふは是所観の境なり」というのは正しく真身をさしているという。それは「無量寿と言ふは是法、覚とは是人なり。人法並べ彰す、故に阿弥陀仏と名つく」(三四一頁)といった文をうけて「人法と言ふは是所観の境なり」というのであるから、阿弥陀仏すなわち真身をさすというのである。そして「即ち其の二有り」というところから後は、依正二報について通別・真仮を明かしていかれるが、それは阿弥陀仏という真身を観ずるための方便の観法であるということを釈したものであるというのである。

 なお「玄義分」には、所観の境としての依正二法について通別、真仮を分けて詳細な釈がなされているが、幸西は何も釈していない。おそらく読めぱわかることであったのと、観は方便でしかなかったからであろう。

 「一、従言觀者照也下至照彼彌陀正依等事已來ハ觀相ヲ結ス」というのは、観とは浄信心を起こし、智慧の眼をもって弥陀の依正二報を照知することを観というと、観察するありさまを釈したものであるというのである。さきに述べたように幸西は所観についても詳しい釈を施していないように、能観についても特別の釈はされていない。理由は所観についてと同じことであろう。


第十一講 別時門(和会門の五)

六字釈

 [本文]

一、従「今此親経」下至「必得往生」已來ハ、願行本ヨリ具足セリ、具不具ヲ努クスヘカラスト也。斯乃上二餘願餘行ヲキラハムカ為二、但行但願ノ無所至ナル事ヲ論ス。重々ノ問答ヒトヘニ願行ノ具不、相績ノ有無ヲ取捨スルニ似タリ。故二今願ノ眞實ノ相ヲ結シテ行者ノ安心ヲ定ム。當知南無阿彌陀佛ト念スル外二歸命モ入ルヘカラス、發願モ入ルヘカラス、廻向モ入ルヘカラス、唯佛智ヲ了スル一心二皆具足スト也。

 [意訳]

一、「今此観経」より、下の「必得往生(必ず往生を得)」に至るまでは、(南無阿弥陀仏には)願行が本来具足している。いまさら具しているか具していないかを考えて心をつかれさせるべきではないというのである。すなわちこれは上に、余他の願、余他の行をきらい捨てるために、行のみでも、願のみでも至る所がない(果が得られない)と論じてきた。上来のかさねがさねの問答は、行者のはからいによる願と行の具と不具、相続の有無を取捨するものであるようにみえた。それゆえ今は願の真実のありさまをあらわしてしめくくり、行者の安心のありようを定めたのである。それは、南無阿弥陀仏と称念する外に、帰命も(外部から)入れてはならない、発願も入れてはならない、廻向も入れてはならない。ただ仏智(南無阿弥陀仏)を領解する一心にみな具足しているということを知るべきであるというのである。

 [講述]

「一、従今此観経下至必得往生已來ハ、願行本ヨリ具足セリ、具不具ヲ努クスヘカラスト也」とは第四間答のなかの六字釈についての幸西独白の見解をのべたものである。「玄義分」の文は次の如くである。

 今此の観経の中の十声の称仏は、即ち十願・十行有りて具足す。云何が具足する。南無と言ふは即ち是帰命なり、亦是発願廻向の義なり。阿弥陀仏と言ふは即ち是其の行なり。斯の義を以ての故に必ず往生を得。(三六六頁)

幸西はこの六字釈によって「願行本ヨリ具足セリ」という。「本ヨリ」とは本来ということで、行者のはからいを超えていることをあらわすから、南無阿弥陀仏に本来願行を具足しているのであって、行者のはからいによって具足するものではないというのである。それゆえ「具不具ヲ努クスヘカラス」というのである。念仏して願行を具足していくのではなく、念仏していることは本来六字の名号に具足している願行を領受しているありさまに外ならないというのである。

上来の問答において願のみでも行のみでも往生は出来ないといって願行具足すべきことを論じて来た。それはまるで行者のはからいによって具したり具さなかったり、あるいは行者の努力の有無によって相続したりしなかったりするかのような明し方であった。そこでここに来って第四間答の「願の意云何ぞ」という問いに答えて願の真実のすがたをあらわして行者の信心のありようを確定して問答を結ぶのがこの六字釈である。すなわち「南無阿彌陀佛ト念スル外二歸命モ入ルヘカラス、發願モ入ルヘカラス、廻向モ入ルヘカラス、唯佛智ヲ了スル一心二皆具足スト也」と知らせようとして六字釈が施されたというのである。

この「南無阿彌陀佛ト念スル」とは、「十声の称仏」のことであるから、南無阿弥陀仏と称えることである。しかしあえて「念スル」といって「称スル」といわないのは、それがそのまま「佛智ヲ了スル一心」すなわち信心でもあることをしらせようとしたものではなかろうか。ともあれ「南無阿弥陀仏」と仏智を領受して称えるところに、帰命も、発願も、廻向も具足しているのであるから、行者の方から別して帰命したり、発願したり、廻向したりしてつけ加える必要はないというのである。それを幸西は、すべて「佛智ヲ了スル一心二皆具足」しているからであるといわれる。仏智とは弘願であり、南無阿弥陀仏の異名であることはしばしば述べたところである。仏智を了するとは本願を信受することであり、南無阿弥陀仏を領受する信心のことであるから一心」というのである。
なおここには行について特別の釈は施されていないが、南無阿弥陀仏が往生行として選択された行体であることは法然門下の人々にとっては自明のことがらであったからである。また上来しばしば乃至一念を行とするということがいわれていたが、幸西は一念が往生行であるのは、称えて行にするというよりも、行である名号を称えてあらわすというような意味さえもたせていたといえよう。

こうして幸西は、南無阿弥陀仏とは、本来衆生往生のための願行を具足していて、往生の真因たるべく成就されている法であるとみられていたことがわかる。いいかえれば阿弥陀仏だけが名号なのではなくて、南無までも名号であり、衆生の帰命と発願廻向を法としてすでに成就されていることをそこにあらわしているとみられていたことがわかる。釈名門に「無量壽ト云ハ念佛、彼ノ佛ノ名ヲ念ス、故二南無阿彌陀佛ト釋シ御セリ」といい、その所念の法をさして「當知南無阿彌陀佛トイハ決定成佛之因也ト云事ヲ」といわれていたが、六字名号が決定成仏の因であることを、今は願行具足の法として釈顕されたのである。この願行具足の名号を選択した願心が大乗広智とよばれる仏智であり、その願心を表明したのが弘願であり、その願心を領解し仏智と相応しているのが信心(一心)であった。その信心は一声の称名にあらわれている南無阿弥陀仏が願行具足した往生の生因であると了知する心であるから、「信をば一念に生るととる」といわれるというのが幸西の一念の義であった。