別伝記云
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別伝記云
- 別伝記に云く。
法然上人、美作州人也、姓漆間氏也、本国之本師智鏡房 {本ハ山僧}
- 法然聖人は美作州の人なり。姓は漆間氏なり。本国の本師は智鏡房。{もとは山僧なり}
上人十五歳、師云非直人欲登山。
- 上人十五歳、師ただ人にあらず云、山に登らしめんと欲す。
上人慈父云、我有敵、登山之後聞被打敵可訪後世云々
- 上人の慈父云、我に敵有り、登山の後に敵に打たれたるを聞かば後世をとぶらうべし。云々。
即十五歳登山、黒谷慈眼房為師出家授戒。
- すなわち十五歳にして山に登り、黒谷の慈眼房を師となし出家授戒せり。
然間慈父被打敵畢云、上人聞此由師乞暇遁世セムト云。
- しかるあいだ慈父敵に打たれて畢ると云、上人この由を聞き、師に暇を乞い、遁世セムト云。
遁世之人無智悪候也、依之始談義於三所、謂玄義一所、文句一所、止観一所也。
- 遁世の人も無智なるは悪く候うなり、これに依り三所において談義を始む。いわく『玄義』一所、『文句』一所、『止観』一所なり。
毎日遇三所、依之三箇年亘六十巻畢。
- 毎日三所に遇い、これに依りて三箇年に六十巻にわたり畢んぬ。
其後籠居黒谷経蔵、披見一切経、与師問答。
- その後、黒谷の経蔵に籠居し、一切経を披見し、師と問答す。
師時閉口、師即捧二字云、知者為師、今上人返為師云々。
- 師、時(よりより) 閉口す。師すなわち二字をささげて云く、知れる者を師となす、今上人を返りて師となす。云々。
又花厳宗章疏見立、醍醐有花厳宗先達行決之。
- また華厳宗の章疏を見立て、醍醐に華厳宗の先達あり、行きてこれを決す。
彼師云鏡賀法橋、法橋云、我雖相承此宗 此程不分明、依上人開処処不審云々
- かの師をば鏡賀法橋と云、法橋の云、我この宗を相承すといへども、この程 分明ならず、上人に依りて処々の不審を開くと云々。
依之鏡賀二字即受梵網心地戒品。
- これによりて鏡賀二字を、すなわち『梵網』の心地戒品を受く。
或時自御室鏡賀許 花厳 真言勝劣判可進云々
- ある時、御室より鏡賀のもとへ華厳・真言の勝劣判じて進むべしと云々。
依之鏡賀思念、仏智照覧有憚、真言為勝。
- これに依りて鏡賀思念すらく、仏智照覧にはばかり有り、真言を勝となす。
爰上人、鏡賀許出来給、房主悦云、自御室有如此之仰云々。
- ここに聖人、鏡賀のもとへ出で来たもう、房主よろこびて云く、御室よりこのごときの仰ありき。
上人問、何様判思食。
- 上人問う、いかように判ずるとかおぼしめすと。
房主云如上申、此上人存外次第也。
- 房主云、上のごとく申す、この上人、存外次第なり。
源空所存一端申サムトテ、花厳宗勝真言事一一被顕、
- 源空所存の一端を申さんとて、華厳宗の真言に勝れたる事をいちいち顕わせらる。
依之房主承伏、御室返答、花厳勝タル之由申畢。
- これにより房主承伏して、御室の返答に華厳勝れたの由、申し畢んぬ。
其後智鏡房自美作州上洛、上人奉二字但真言宗中河少将阿闍梨受之、
- その後、智鏡房は美作州より上洛して、上人に二字を奉る。ただ真言宗をば中河少将阿闍梨これを受く。
法相法門見立蔵俊決之、蔵俊返二字。
- 法相の法門を見立て蔵俊これを決し、蔵俊返て二字す。
已上四人師匠皆進二字状、竹林房法印静賢奉値上人取念仏信 {其文者心義也}
- 已上四人の師匠、みな二字状を進ず。竹林房法印静賢は上人に値(あ)い奉りて念仏の信を取る。{その文とは心義なり}
三井公胤於殿上七箇不審開上人。
- 三井の公胤は殿上において七箇の不審を聖人に開かる。
上人老耄之後不見聖教三十年、其後山僧筑前弟子、為令遂竪義参上人、
- 聖人老耄の後、聖教を三十年見ず、その後山僧で筑前弟子が、竪義を遂げしめん為に上人に参上し、
内内談法門、竪者云、三十年不見聖教被仰、文々分明事、当時勧学越非直之人御云々。
- 内々法門を談ず、竪者の云、三十年聖教を見ずと仰せを被むるとも、文々分明の事、当時の勧学にも越えたまへり、ただびとには非ず。云々
公胤夢見云、源空本地身、大勢至菩薩、衆生教化故、来此界度度云々
- 公胤夢に見て云、源空本地身、大勢至菩薩、衆生教化のゆえに、この界に度々来たると、云々。