三部経大意
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『法然教学の研究』梯實圓和上著から引用。
参照:
- →和語灯録#三部経釈
- →三部経大意(真仏本) 専修寺本
- →三部経大意(良聖本) 金沢文庫本
- →『教行証文類』における『観経疏』三心釈の分引
四、『三部経大意』の至誠心釈
昭和八年、神奈川県の金沢文庫に襲蔵されてきた『浄土三都経大意』一巻が公表され、つづいて三重県の真宗高田派本山専修寺に秘蔵されていた『三部経大意』一巻が公表された[1]。この両書は、殆ど同じ内容のものであるが、金沢文庫は、その奥書によれば「建長六年甲刄(寅)五月十五日、於平針郷新善光寺、書了」とあり、建長六年(一二五四)の書写本であることがわかる[2]。またその表紙には「良聖(花押)」と署名されているが、これについて石橋誠道氏は「他の自写本定善義聞書等と比較して全く良聖の自筆である」といい、塚本善隆氏は「良聖所持の鈔本なるべし」といい、恵谷隆戒氏は「良聖とは所持者の名で、筆者は不明」とされている。又山上正尊氏は「良聖の自筆と推察した方が尚も多くの理由を存するやうに考へる」といって、良聖筆写説を立てておられる[3]。良聖は、『法水分流記』によれば鎮西派の良忠の弟子良空慈心の門弟と記されているが、山上氏は、金沢文庫所蔵の約十部にわたる良聖書写本(建長六年廿一歳から正嘉元年廿四歳に及ぶ奥書が認められる)から推検して、良聖は「文暦元年の生誕にて聖忍房と号し、恐らく当初は関東にて良忠に随従し、後時その門弟たる円道や良空を(師と)仰いだらし」いといわれている。[4]
一方専修寺本の奥書には「正嘉二歳戊午八月十八日書写之」とあるから正嘉二年(一二五八)金沢文庫本より四年後に書写されたものであることがわかる[5]。古くは親鸞筆と伝えられていたが、表紙には「釈慶信」とあり、内容の筆蹟と一致する。生桑完明氏によれば、親鸞の真蹟でもなく、また「慶信上書」を書いた慶信の筆蹟ともちがうので、慶信書写本を伝写したか、同名異人の慶信の書写かと見られている。[6]
両書は、内容的には一致しているが、差異もあって、山上氏は①綴文上の左右、②文字の差降、③文句の出没、④伝持上の特徴の四項目にわたって両書を詳細に比較検討を行った上で「写伝の特質、系統が大体に於て一致するものと心得て支障が無いであろう」といわれている。[7]
ところでこの両書と『和語灯録』巻一所収の「三部経釈」とを対照すると、『観経』の至誠心釈の文に大きな相違が見られる。便宜上三本の至誠心釈の部分を比較対照してみると、次表の如くである。
専修寺本によれば、先ず至誠心釈の疏文をあげ、真実心中になすべき「解行トイフハ、罪悪生死ノ凡夫、弥陀ノ本願ニ依テ十声一声決定シテムマルト真実ニサトリテ行スルコレナリ。ホカニハ本願ヲ信スル相ヲ現シテ、ウチニハ疑心ヲイタク、コレハ不真実ノサトリナリ」といい、外に本願を信ずる相をあらわして、内に疑心をいだくことを、「外現賢善精進之相、内懐虚仮」というと釈される。これは『和語灯録』所収の「三部経釈」も同じであるが、金沢文庫本はこの一節百二十六字を欠いている。但し後に同文が出ているから、筆写者が故意に省略したとは考えられない。
{比較対照の部分は省略}
- →三部経大意(真仏本) 専修寺本
- →三部経大意(良聖本) 金沢文庫本
『三部経大意』は、つづいて疏の「貪瞋邪偽奸詐百端」以下、自利真実、利他真実を明かす文を引き、最後に
「コノナカオホクノ釈アリ、スコフルワレラカ分ニコエタリ」といわれるが、これ以下は『和語灯録』本には見られない。「内懐虚仮」を、貪瞋煩悩のこととすれば、真実とは煩悩が超剋された状態でなければならない。ところで疏文では、行者に真実心が要求されるのは、浄土が法蔵菩薩の真実なる三業行によって成就された無漏真実の境界だからであるといわれている。それと対応すれば、行者に要求される真実は、一切の菩薩とおなじく真実心をもって廃悪修善することであるといわねばならない。それゆえ法然は「スコフルワレラカ分ニコエタリ」といわざるを得なかったのであろう。
こうして法然は、善導の至誠心釈のなかに、われらの分にかなった至誠心と、われらの分をこえた至誠心があるとみられたのである。そのことを明確にするために至誠心について定善、散善、弘願の三門をたて、総と別、自力と他力の至誠心があると釈顕されるのである。
タヾシコノ至誠心ハヒロク定善、散善、弘願ノ三門ニワタリ釈セリ。コレニツキテ摠別ノ義アルヘシ。摠トイフハ、自力ヲモテ定散等ヲ修シテ往生ヲ子カフ至誠心ナリ、
別トイフハ他力ニ乗シテ往生ヲネカフ至誠心ナリ。ソノユヘハ疏ノ玄義分ノ序題ノ下ニイハク、定ハスナハチオモヒヲトヽメテコヽロヲコラシ、散ハスナワチ悪ヲトヽメテ善ヲ修ス、コノ二善ヲメクラシテ往生ヲモトムルナリ。
弘願トイフハ大経ニトクカコトシ、一切善悪ノ凡夫ムマルヽコトヲウルハ、ミナ阿弥陀仏ノ大願業力ニ乗シテ増上縁トセストイフコトナシトイヘリ。
自力ヲメクラシテ他力ニ乗スルコトアキラカナルモノカ。シカレハ、ハシメニ一切衆生ノ身口意業ニ修スルトコロノ解行、カナラス真実心ノ中ニナスヘシ、外に賢善精進の相を現スルコトヲエサレ、ウチニ虚仮をイタケハナリ、ソノ解行トイフハ罪悪生死ノ凡夫、弥陀ノ本願ニ乗シテ十声一声決定シテムマルヘシト真実心ニ信スヘシトナリ。
外ニハ本願ヲ信スル相ヲ現シテ内ニハ疑心ヲ懐、コレハ不真実ノ心ナリ。次ニ貪瞋邪偽奸詐百端ニシテ悪性ヤメガタシ、事蛇蝎ニオナシ、三業ヲオコストイヘトモナツケテ雑毒ノ善トス、マタ虚仮ノ行トナツク、真実ノ善トナツケストイフナリ。自他ノ諸悪ヲステ、三界六道毀厭シテミナ専真実ナルヘシ、カル カユヘニ至誠心トナツクトイフ、コレラハコレ摠ノ義ナリ(専修寺本)
これによれば、元来『観経』の三心は、定善、散善、弘願の三門に通ずるものであったから、疏の至誠心釈もまた三門に通じてなされており、定善と散善を総とし、弘願を別とし、前者は自力、後者は他力の法門をあらわしているというのである。このように分別するのは『玄義分』序題門の要弘二門の釈に依る[8]。すなわち善導は『観経』所説の定散二門を要門とし、『大経』所説の願力増上縁の法門を弘願とよんでいる。定善とは息慮凝心であり、散善とは廃悪修善をいうが、この二善を回向して願生するのだから自力の法門である。それに対して弘願とは、自力の心をひるがえして、善悪の凡夫が、ひとしく阿弥陀仏の大願業力に乗じて往生をうる他力の法門である。それは具体的にいえば『大経』所説の第十八願の念仏往生の法門をさしていた。
かくて弘願他力の別の至誠心を明かしたものは、疏文の初から「内懐虚仮」までの文で、罪悪生死の凡夫が、十声一声の念仏によって決定往生すと、真実に信ずることをいい、外信内疑を不真実虚仮とするというのである。
これに対して定散自力の総の至誠心とは、「貪瞋邪偽奸詐百端」以下の疏文に示されたように、菩薩の如く廃悪修善して自利々他の真実心を成就しようとすることである。しかし初果の聖者ですら倶生起の煩悩をもっているのだから、まして凡夫が「自力ニテ諸行ヲ修シテ至誠心ヲ具セムトスルモノハモハラカタシ、千カ中ニ一人モナシトイヘルコレナリ」といい、定散自力の至誠心を所廃とみなされている。
このように善導の至誠心釈に自力の至誠心と他力の至誠心が明されているとみねばならない理由は、もし文相の如く貪瞋煩悩をなくしなければ成就しないような至誠心ならば、次下に釈顕される深心釈下の機の深信や、二河譬に「愛欲瞋恚ツネニヤキツネニウルホシテ止事ナケレトモ深信ノ白道タユルコトナケレハムマル、コトヲウ」といわれたものと矛盾することになるからである[9]。又善導の『礼讃』の四修釈のなかの無間修の釈相を注意してみると余行をもってへだてない無間修と、貪瞋煩悩をもってきたしへだてない無間修とが釈出されているが、後の二行の得失の釈から反顕すると、余行をまじえない無間修は念仏についていったものであり、貪瞋等の煩悩をきらう無間修は自力の余行についていったものである。それと同じように「貪瞋等ヲキラフ至誠心ハ余行ニアリ」といわねばならない。そこからみると至誠心釈にも、自力余行に約する釈と、他力念仏に約する釈とがあったとせねばならぬといわれるのである。
かくて弘願他力の至誠心とは、外信内疑の虚仮をひるがえして、無有出縁の凡夫が、貪瞋煩悩のままで内外一致して本願を深信して念仏する深信白道の心をいうとしなければならない[10]。ここに法然が深心中心の三心観をもっておられたことが看取できるのであって『三部経大意』の三心釈のはじめに総釈して「三心ハマチくニワカレタリトイヘトモ、要ヲトリ詮ヲエラヒテコレヲイヘハ深心ヒトツニオサマレリ」といわれる所以である。そしてこうした至誠心釈は親鸞に継承され更に詳細に展開されていくのであって、その弘願他力の至誠心釈は「信文類」に、定散自力の至誠心は「化身土文類」にそれぞれ引釈されていく。[11]
ところがこうした定善、散善、弘願の三門の分別や、定散を自力、弘願を他力とみることについて鎮西派の良忠等は否定的な見解をもっていた。すなわち良忠の『浄土宗要集』一には「要門者定散二善 即往生之行因也。故文云 回斯二行、弘願者弥陀本願即往生之勝縁也。故文云 増上縁、是則因縁和合得往生果也」[12][13]といい、要門と弘願を行因と勝縁、すなわち因縁の関係にあり、二門相依って往生を遂げるとされている。また『浄土宗行者用意問答』には「近代ノ末学浄土ノ行ニ自力他力ト云コトヲ立テ、或ハ定散二善ヲ自力トシ念仏ヲ他力トストイヘリ故上人ハ仰セラレサリシ義ナリ」[14]といって、定散二善を自力とし、念仏を他力とみる如き義を否定している。
しかし法然の法語には、定散二善の要門と弘願とを各別の法門とみなしておられる文が少なくない。「十八条法語」に、
- 又云玄義に云く、釈迦の要門は定散二善なり、定者息慮凝心なり。散者廃悪修善なりと、弘願者如大経説、一切善悪凡夫得生といへり。予ごときは、さきの要門にたゑず、よてひとへに弘願を憑也と云り。[15]
といわれたものは明らかに要弘二門を難易をもって廃立されている。又「一期物語」に「或人問云、常存廃悪修善旨念仏与、常思本願旨念仏何勝哉。答、廃悪修善是雖諸仏通戒、当世我等、悉違背、若不乗別意弘願者、難出生死者歟云云」[16]といって、廃悪修善(散善)を通戒とし、それを廃して別意弘願を自己の道と選定されたのも同意である[17]。又定散を総とし、弘願を別というのは「法然聖人御説法事」に「はじめには定散の二善を説いて総じて一切の諸機にあたえ、次には念仏の一行を選びて、別して未来の群生に流通せり」[18]といわれたものと同じである[19]。さらに三心について総別を分けられるのは『選択集』「三心章」の私釈[20]において「此三心者、総而言之通諸行法、別而言之在往生行」[21][22]といわれているが、この総通諸行とは定散にわたる要門の三心、別在往生行とは五正行を全うじた弘願念仏の三心をさしており、『三部経大意』の至誠心釈の総別義と同じであるとせねばならない。すなわち定散弘願の三門、総別、自力他力の釈義は、法然の釈として必ずしも異例のものではなかったのである。山上正尊氏は、『和語灯録』所収の「三部経釈」の至誠心釈において、定散弘願の三門、総別、自力他力の釈文が欠けていることについて「その伝者の感情に任せて嫌厭する所を削除したものだと云い得るであろう」といわれている。けだし良忠の弟子で、忠実な鎮西義の伝承者でもあった了恵は、「三部経釈」を収録するにあたって良忠の義に従ってこの部分を削除したと推察することもできよう。
- ↑ 「真宗学報」第一七号に、山上正尊氏によって「{建長・正嘉両本対照}三部経大意」が発表され上段に専修寺本(正嘉本)、下段に金沢文庫本(建長本)がそれぞれ輯録されている。又専修寺本は『真宗聖教全書』巻四に輯録されており、『昭和新修 法然上人全集』は金沢文庫本を底本としている。
- ↑ 金沢文庫本『三部経大意』奥書(真宗学報」第一七号・七八頁)
- ↑
- 石橋誠道「金沢文庫と浄土教に関する珍書」第三回(昭和八年八月廿六日付「中外日報」)
- 塚本善隆「金沢文庫浄土宗典研究第一・金沢文庫所蔵浄土宗学上の未伝稀観の鎌倉古鈔本(五四二頁)
- 恵谷隆戒「三部経大意解説」(「浄土宗第三組然阿良忠伝の新研究」附録)
- ↑ 山上正尊「三部経大意の検討」(真宗学報第一七号・一六頁)
- ↑ 専修寺本「三部経大意』奥書((真宗学報第一七号・七九頁)
- ↑ 生桑完明『親鸞聖人撰述の研究』(三一六頁)
- ↑ 山上正尊「三部経大意の検討」(真宗学報第一七号・七九頁)
- ↑ 『玄義分』(聖全書一・四四三頁)「然娑婆化主、因其請故、即広開浄土之要門、安楽能人顕彰別意之弘願、其要門者、即此観経定散二門是也。定即息慮以凝心、散即廃悪以修善、廻斯二行、求願往生也。言弘願者、如大経説、一切善悪凡夫得生者、莫不皆乗阿弥陀仏大願業力、為増上縁也」
- ↑ 同意の文が醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八三頁)にも出ている。
- ↑ 石田充之『法然聖人門下の浄土教学の研究』上(一三五頁)參照。
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・五一頁以下)、「化身土文類」(同・一四九頁以下)、『愚禿鈔』下(真聖全二・四六五頁以下)
- ↑ 『浄土宗要集』一(浄全一一・八頁)
- ↑ ◇要門とは定散二善、即ち往生の行因也。故に文に斯の二行を回してと云う、弘願とは弥陀の本願、即ち往生の勝縁也。故に文に増上縁と云。是れ則ち因縁和合して往生の果を得る也。
- ↑ 『浄土宗行者用意問答』(浄全一〇・七〇五頁)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三二頁)
- ↑ 或人問て云く、常に廃悪修善の旨を存じて念仏すると、常に本願の旨を思い念仏すると何が勝れたるや。答、廃悪修善は是れ諸仏の通戒といえども、当世の我等、悉く違背せり、若し別意の弘願に乗ぜずば、生死を出で難きものか。云云 『和語灯録』諸人伝説の詞や一百四十五箇条問答の末にも同趣旨の文がある。
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』「一期物語」(法然伝全・七七九頁)、同意文が「浄土随聞記」(『拾遺語灯』上・真聖全四・七〇二頁)、「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七五頁)、「一百四十五箇条問答」(『和語灯』五・真聖全四・六七一頁)にも出ている。尚定善、散善、弘願の三門を立てることは「登山状」(『拾遺語灯』中・真聖全四・七一五頁)にも見られるが、これは法然の自作ではなく、聖覚の代筆であると伝えられている。
- ↑ 法然聖人御説法事
- ↑ 「法然聖人御説法事」(『指南抄』上末・真聖全四・一二二頁)
- ↑ 『選択集』
- ↑ 『選択集』「三心章」私釈(真聖全一・九六七頁)
- ↑ この三心は総じてこれをいへば、もろもろの行法に通ず。別してこれをいへば、往生の行にあり。