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彼岸

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2021年9月25日 (土) 15:13時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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ひがん

Ⅰ 生死(しょうじ)を超えたさとりの世界。迷いの世界である此岸(しがん)に対する。

Ⅱ 梵語パーラミター(Pāramitā )の意訳「至彼岸」略した語。→六波羅蜜

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

最古層に属するといふ『スッタニパータ』には、

わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している。もはや筏の必要はない。

とある。

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:彼岸

ひがん/彼岸

彼の岸、すなわち悟り世界、理想の世界、もしくは(極楽浄土を比喩的に表す語として用いられる。Ⓢpāra。仏教では輪廻の迷いの世界をこちら側の岸という意味で「此岸しがん」と呼ぶのに対し、悟り世界のことを彼方の岸という意味で「彼岸」と称する。例えば『スッタニパータ』二一偈において、いかだ仏教の教え)で激流(欲望・煩悩)を克服して彼岸悟りの境地)に至ると述べられているのをはじめとして、最初期の仏教から頻繁に用いられてきた比喩表現である。ただし、浄土教においては、彼岸悟りの境地の意の他に、(極楽浄土を意味する場合も少なくない。例えば「衆生極楽彼岸に運ぶ」(『選択密要決』五、浄全八・三二九上)、「生死大海を渡って極楽彼岸いたる」(『大経直談要註記』一四、浄全一三・一八五上)などである。なお、この彼岸悟り)に到ることを「到彼岸」「度彼岸」(「度」は「渡」の意)と呼ぶが、その原語はⓈpāramitāであり、これは「波羅蜜」「波羅蜜多」と音写され、そしてその「到彼岸」のための行が「六波羅蜜」となる。ただし、pāramitāは「到彼岸」ではなく、「完成」の意であるとの見解も見られる。一方、上述したような教義的な意味とは別に、「彼岸」が「彼岸会」を指す場合も多々見られる。


【参考】定方晟「〈到彼岸〉と〈完成〉—パーラミターの語義—」(東方研究会『東方』二二、二〇〇七)


【参照項目】➡彼岸会波羅蜜


【執筆者:安達俊英】


春分・秋分を中日とした、前後七日間。先亡の諸霊位に追善の誠をささげる期間。


【参照項目】➡彼岸会


【執筆者:編集部】