業
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ごう 業
梵語カルマン(karman)の意訳。広い意味の行為、結果を引き起こすはたらきをいう。通常、身・口・意の三業に分ける。元来、仏教における業は、仏教以前に用いられていた宿命論的な因果一貫の業論ではなく、縁起の立場に拠る業論である。それは、衆縁によって成り立つ自己を、縁起的存在であるとし、固定的な実体観を否定する無我の立場であるとともに、主体的な行為によって真実の自己を形成すべきことを強調するものである。
なお親鸞には、法蔵菩薩の本願よりおこる「智慧清浄の業」、その果徳としての阿弥陀仏の「大願業力」などと用いられる場合、また阿弥陀仏の光明に映し出される煩悩具足の凡夫のすがたを、機の深信として表白されたときに「罪業深重」などと用いられる場合、本願力回向の大行・大信について「本願名号正定業」「称名正定業」「至心信楽の業因」などと用いられる場合の3種の用法がある。→宿業、補註5、七祖-補註6。