諸師の釈
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しょしのしゃく
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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諸師は「乃至十念」に着目して十念往生の願といわれていた。
「乃至十念」の〔なんまんだぶ〕については、『法然上人伝』に法然聖人と遊蓮房円照(1139-1177)とに、臨終十念の有名なエピソードがある。法然聖人は、浄土の法門と遊蓮房に出あえたことは今生の思い出であるといわれていた。それを『法然上人行状絵図』に、
- 遊蓮房円照は、入道少納言通憲の子、信濃守是憲これなり。生年廿一歳にして発心出家す。はじめは法花経をそらにおぼえて読誦しけるが、のちには上人の弟子となりて一向に念仏す。道心堅固に厭離の心ふかき行者にて、いつとなくうちなみだぐみて、ものおもひすがたにてぞ見えける。
{中略} - 西山の善峰にてをはりをとる、名号をとなふること九遍、上人すすめて、いま一遍とおほせられければ、高声念仏一遍して、やがていきたえにけり。上人つねには、浄土の法門と、遊蓮房とにあへるこそ、人界の生をうけたる、思出にては侍れとぞおほせられける。厭離穢土の心もふかく、欣求浄土の行も、まことありける故にやと、ありがたくたうとくぞおぼえ侍る。(法然上人行状絵図 勅伝)
と、遊蓮房は命終に臨んで、息絶え絶えに九遍まで念仏を称えた後、「さ、いま一声」と法然聖人に勧められ、なんまんだぶと一称し「十念往生」したといわれる。『観経』の臨終時の「具足十念 称南無阿弥陀仏」は、易しい行なのだが、息絶え絶えの行者にとっては難行であろう。法然聖人はこのような真摯な浄土願生の朋友に出あうことによって、十念にも一念にもこだわらず念仏往生という選択本願という宗義を確立されていかれたのであった。