念仏
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第十九願とその成就文
〔本文〕
ここをもつて『大経』の願(第十九願)にのたまはく、「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修し、心を至し発願して、わが国に生ぜんと欲はん。寿終のときに臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ」と。
『悲華経』の「大施品」 にのたまはく、「願はくはわれ阿耨多羅三藐三菩提を成りをはらんに、その余の無量無辺阿僧祇の諸仏世界の所有の衆生、もし阿耨多羅三藐三菩提心を発し、もろもろの善根を修して、わが界に生ぜんと欲はんもの、臨終のとき、われまさに大衆と囲繞して、その人の前に現ずべし。
その人、われを見て、すなはちわが前にして心に歓喜を得ん。われを見るをもつてのゆゑに、もろもろの障碍を離れて、すなはち身を捨ててわが界に来生せしめん」と。{以上}
この願(第十九願)成就の文は、すなはち三輩の文これなり、『観経』の定散九品の文これなり。
(一) 発菩提心と修行
引文の最初は第十九願文である。それが諸行往生の法門の根源だからである。次いで『悲華経』の願文を以てそのこころを助顕し、最後に十九願の成就文は、『大経』の三輩段であり、それを広説した『観経』の定散九品の教説であると指示されている。先に第十九願を、第十八、第二十願と対望しながら考察したから、ここでは文意を略釈することに止める。
まず「十方の衆生」とは所被の機類を挙げたものであるが、第十八願の十方衆生が、善悪・賢愚を簡ばない、文字通り十方一切の衆生を指していたのに対して、第十九願の機は廃悪修善して浄土に往生しようとしている善機を指していた。それゆえ第十八願のような逆謗を抑止する必要はなかったのである。
「菩提心を発し、もろもろの功徳を修し」とは所修の行を挙げたものである。その中菩提心をはじめに挙げられたのは、万行の元首といわれるように、自力修行の根源となるからである。菩提心論についての詳細は別稿に譲るが、万行能修の願心と見る場合と、起行の一行と見て行福に摂する場合とがある。法然聖人は後者とみなし雑行中の一行とされていた。修諸功徳とは、所修の万行を総括しており、それを『観経』では定散二善として説き表されている。
ただこの第十九願の修諸功徳の中に弥陀念仏(称名)が含まれているか否かで古来論議が為されている。僧鎔師の『一滞録』(『真宗叢書』八・二八六頁)には、念仏には三重があって、第十九願の念仏は万行随一、第二十願の念仏は自力念仏、第十八願の念仏は他力念仏であるという説を批判して、「万行随一の念仏と云ふはあるべからず。若し万行随一の念仏ありといはば、『小経』の少善根、少福徳の中に念仏もあるべきや。爾らばまた念仏も所廃となるべし。一経の廃立一時に潰れ了る。決してこの慮あることなし。しかれば定散自力の称名は果遂の誓に帰すとのたまへば、悠々歌曲の念仏までも二十願なり」といい、自力の念仏はすべて第二十願位の念仏であって諸行と同列の万行随一の念仏はあり得ないといわれている。
それに対してその弟子の道隠師は『略讃』一五(『仏教大系』六一二・四三九頁)の中で師説を挙げて、どんな意味でも万行随一の念仏を認めないならば、善導大師、法然聖人の文は勿論、『三経往生文類』等の文が通釈できないといい[1]、「名号法体においては即ち非定非散の行、功徳最勝なり。雑散業の比類すべきところに非ず。しかりと雖も行者の機情、定散の行とおもひてこれを称念せば、念仏は諸行の摂に非ずや。己心に称して定散とするが故に、機より念仏を諸行の一分に堕せしむるを以て、名づけて万行随一の念仏となす。また念仏の功徳最勝たり。定散の上に超えんとおもひて一向称念して往業に擬して二十願自力の念仏と為す。皆これ機に従って自力と為す。法徳にかなわざる故なり」といい、法体そのものは最勝の行であって、非定非散の行であるが、機が万行随一とみなしてしまっている念仏は、第十九願位の万行随一に堕しているといわねばならない。それに対して、名号の万行勝過に気づいて称念の功をつのる自力念仏が、第二十願位の念仏といわねばならないというのである。
わたしは『略讃』の説に順いたいと思う。「至心発願欲生」の三心について、至心は自利真実心をいい、欲生は不定希求の願生心を意味していた。ことに「発願」の二字に、第十九願の信の特徴が示されていることについてはすでに詳述したから省略する。
- ↑ 『三経往生文類』「観経往生」に、「しかれば『無量寿仏観経』には、定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏を説きて、九品往生をすすめたまへり。」と称名念仏が出されてある。