一念多念
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いちねんたねん/一念多念
念仏を一回称えることと多く称えること。一回の念仏でも往生できるか、念仏は多く称えなくてはならないかということが、法然およびその門下において大きな問題となった。すなわち「一念か多念か」という問題である。この一念・多念の問題は信と行の関係とも密接に連関しており、信をより重視する者は一念重視、行をより重視する者は多念重視となる傾向が強い。よって、「一念・多念」は「信・行」の問題と表裏をなすといってもよい。そもそも『無量寿経』においては、第十八願に「乃至十念」(聖典一・二二七/浄全一・七)、その成就文には「乃至一念」(聖典一・二四九/浄全一・一九)とあるため、少なくとも「一念・十念」でも往生できるということになる。善導も、「十声一声等に至るまで定んで往生を得」(『往生礼讃』浄全四・三五四下)と説く。ただし、その一方で「念念に捨てざる者、これを正定の業と名づく」(『観経疏』聖典二・二九四/浄全二・五八下)というように、念仏を続けてゆくことこそが「正定業」、すなわち往生を決定づける因になるとも述べる。ここにはすでに一念か多念かの問題が内在するが、善導においてはその点はいまだ表だって問題とはなっていない。一方、日本の平安時代の浄土教は、一念・十念による往生も説くが、基本的には念仏は多ければ多いほどよいという念仏数量主義の立場に立っていた。百万遍念仏などは、まさにその典型といえよう。
それに対し、法然は一念・十念で往生が可能なことを強調した。例えば、『禅勝房にしめす御詞』では「一念称うるに一度の往生に宛てがいて発したまえる本願なり。かるが故に十念は十度生まるる功徳なり」(聖典四・四三二/昭法全四六三)、『一紙小消息』では「行少しとて疑うべからず、一念十念に足りぬべし」(聖典四・四二〇/昭法全四九九)と説かれるなど、その例は多い。念仏数量主義の当時にあって、この一念での往生の強調は画期的といえる。ところが、その同じ『一紙小消息』で「行は一念十念虚しからずと信じて無間に修すべし、一念なお生まる、いかにいわんや多念をや」(聖典四・四二一/昭法全五〇〇)というように、一念往生を認めつつ、実際には多念を勧める。この多念の勧めは法然遺文の諸所に見られ、法然自身も日に六万・七万の念仏を修したと伝えられる(『四十八巻伝』六)。つまり、法然は一念・十念での往生を明言しつつ、多念を勧めていたわけであるが、法然自身はそのいずれにも偏るべきでないことを強調している。例えば、『禅勝房にしめす御詞』の「一念十念にて往生すといえばとて念仏を疎相に申せば信が行を妨ぐるなり。念念不捨といえばとて一念十念を不定に思えば行が信を妨ぐるなり」(聖典四・四三三/昭法全四六四)という一文には、そのことが端的に示されている。したがって「信をば一念に生まると取り、行をば一形(=一生涯)励むべし」(同)ということになるのである。これと同様の法語は、『十二問答』や『登山状』など、複数の法然遺文に見られるので、法然の基本的立場と見てよい。すなわち「一念往生を信じつつ多念せよ」という立場である。ただし、それではなぜ一念で往生できるのに多念しなくてはならないかという問題が生ずるが、それに関しては法然の説明は一定しておらず、何種類かの説明が見られる。
門弟たちはこのような法然の教えを各人各様に受け止めていったが、それらは大別して「一念・信」を重視する「安心派」と「多念・行」を重視する「起行派」に二分される。まず、「一念・信」を重視する最右翼はいわゆる「一念義」であろう。「一念で往生できるのだから多念する必要はない。むしろ、多念は一念での往生を本当に心の底から信じていない証拠であって、阿弥陀仏の誓いに疑心を抱いていることになるので、かえって往生できない」(『登山状』『一念義停止起請文』等)とする主張である。なかでも行空は「念とは思いとよむ。されば称名に非ず」(聖光『西宗要』浄全一〇・二二八下)というように、一念さえ否定したと伝えられる。また、幸西も「一念義」を説いたが、ただし幸西の場合は「仏智の一念」を重視しつつも、必ずしも多念を否定しているわけではなかったようである。それと同様のことは親鸞にも当てはまる。親鸞は明らかに信を重視したが、隆寛の著した『一念多念分別事』を書写して、一念に傾きがちな門弟に付与し、誡めとしている。とはいえ、やはり安心派は多念を積極的に説かないという点で共通しているといえよう。それは「四修」「念仏相続」といった多念と関連する言葉が、幸西や親鸞の文献にまったく、もしくはほとんど現れない点から窺い知ることができる。それに対し、起行派とされる「鎮西義」の文献には、一念十念での往生を強調する文言も決して少なくはないものの、安心派の文献に比べ、多念を勧める文言が断然多いのが特色といえる。例えば、聖光『西宗要』一二「四修事」(浄全一〇・一六三下~六上)では、末代の凡夫であっても四修は必ず具えるべきであるとし、「長時修・無間修」を強調している。また、同じく聖光の『授手印』序(聖典五・二二四/浄全一〇・一上)では、自ら五万・六万の念仏を修し、人にも「称名の多念をもって浄業と教ゆ」と述べられる。さらに「諸行本願義」の長西もやはり『専雑二修義』(石橋誡道『九品寺流長西教義の研究』二〇五~七)で四修を強調し、(諸行も含め)行の相続を不可欠としている。なお古来、「多念義」とされてきた隆寛に関しては、近年、全体的には「安心派」の傾向を持つことが指摘されているが、念仏に関しては一念十念の往生と多念相続のいずれも説き示しているといえよう。
【参考】安井広度『法然門下の教学』(法蔵館、一九六八)、丸山博正「法然上人における一念と多念」(浄土教思想研究会編『浄土教—その伝統と創造』二、山喜房仏書林、一九八四)、安達俊英「法然浄土教における多念相続の意義」(『髙橋弘次先生古稀記念論集 浄土学仏教学論叢』一、同、二〇〇四)
【執筆者:安達俊英】