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門余

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2019年1月25日 (金) 07:13時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

 通常、八万四千の法門といえば釈尊の説かれた全仏教を指す。八万四千という数は八万四千種の衆生それぞれに対して、応病与薬(病に応じて薬を与える)に法を説かれたからとされる。 →(八万四千の法門)
ところが御開山は不思議な言い方をされる。例えば「行巻」で、

大利無上は一乗真実の利益なり。小利有上はすなはちこれ八万四千の仮門なり。(行巻 P.188)

と、大利無上(称名)に対し小利有上(諸行)とされたり『一念多念文意』でも、

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ、これを仮門となづけたり。」(一多 P.690)

と、八万四千の法門を仮門とされるのである。このように言えるのは、

『観経疏』玄義分の、

「依心起於勝行 門余八万四千(心によりて勝行を起すに、門八万四千に余れり。)(玄義分 P.300)

の、「門八万四千」の《余》をどのように理解するかという法然門下の高弟達による深い考察があったからである。

さて、この、「門余八万四千」を幸西大徳は『玄義分抄』で以下のように釈されていた。

「門余八万四千」トイハ一乗ヲ加テ余トス。法華経の宝塔品、此ノ経ノ下品上生等ノ文ニ依ルナルヘシ」

この釈意を梯實圓和上の幸西大徳述『玄義分抄講述』から窺ってみる。

「門余八万四千トイハ一乗ヲ加テ余トス」というのは、門余と八万四千とを分け、八万四千を聖道門とし、余を凡頓一乗[1]とするのである。これは『法華経』見宝塔品第十一(大正蔵九・三四頁)に、

「若し八万四千の法蔵、十二部経を持ちて人の為に演説し、諸の聴者をして六神通を得しめん。よくかくの如くすと雖もまた難と為さず。我が滅後に於て此の経を聴受し、その義趣を問はば即ちこれを難とす」

というものをさすのであろう。ここで八万四千の法蔵、十二部経の法門と、『法華経』を対照し、前者よりも後者の方が難であるということをもって、爾前三乗の法門に対して、法華一乗の法門の尊高を顕わしているからである。
また『観経』下品上生の文というのは、下上品の機がはじめに大乗十二部経の首題名字を聞いたが、千劫の罪しか除くことができなかったのを、善知識が教えを転じて阿弥陀仏の名を称せしめたとき、五十億劫の生死の罪を除いて往生を得ることが出来た(*)。そして来迎の化仏は聞経の事を讃ぜず、ただ称仏の功のみを讃歎されたことをさしていた。このように聞経の善と本願の行である称名とを対比して、称名の超勝性を釈顕されている。この下上品の経意を「見宝塔品」と対照すれば、十二部経とは八万四千の法門のことであり、称名とは凡頓一乗の法門ということになる。
こうして幸西は、諸経に説かれた八万四千の法門は調機誘引の方便の法門であり、その行体は定散であるとし、『大経』に説かれた別意弘願の法門だけが究竟の真門であって、それを門余の一乗とよび、凡頓一乗とするというのである。それにしてもこの門余の釈が、親鸞の「化身土文類」要門釈(三九四頁)に「門余といふは、「門」はすなはち八万四千の仮門なり、「余」はすなはち本願一乗海なり」といわれた門余の釈と全く同じであったことがわかる。 (『玄義分抄講述』p.152以下)

『観経疏』玄義分の文の当面では「門余八万四千」の《余》は、有り余るという意の有余であるが、八万四千の法門の外に別の法門がある──外余(外に余っている)──ことを表す言葉として解釈したのである。それはまた『安楽集』の末法の劣った機を縁とする聖浄二門判と視点が異なり、仏教そのものの綱格を洞察し「八万四千の法門は調機誘引の方便の法門」であり、門余には真実の阿弥陀仏の本願力回向の法が説かれていると確定されたのが御開山であった。「行巻」の「一乗海釈」(行巻 P.195)での誓願一仏乗は、その意をあらわそうとされているのである。「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(御消息 P.737) とされた所以である。

法然聖人は『選択集』で「玄義分」の「この経は観仏三昧を宗となし、または念仏三昧を宗となす」(玄義分 P.305)の文を、『観経』は観仏三昧と念仏三昧を説く経であるとされ、一経に二宗を見られた釈風と通ずるものがある。原文は「観仏三昧為宗亦以念仏三昧為宗」であり、当面では観仏と念仏を同義語として使われている。一経に宗体が二つあることはないからである。しかし「玄義分」の「しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ」(玄義分 P.300)の文から『観経』には釈迦教(要門)と弥陀教(別意の弘願)のニ教が説かれていると見られたのであった。
なお御開山は、この「念観両宗」を「化巻」p.384で引文されておられる。

後年、日渓法霖師が、

今宗の学者、 大蔵中の三部を学ぶなかれ、 須く三部中の大蔵を学ぶべし。 三部は根本なり。 大蔵は枝末なり。 今の人、 三部を以て小となし、 大蔵を大となす、 謬れるというべし。 「日渓法霖」

といい、浄土三部経を根本とし、八万大蔵経を枝末であるとされたのも、このような「門余の本願一乗海」の意を顕わそうとされたのであろう。

  1. 凡頓一乗。『浄土法門源流章』には「略料簡の頌に云く、聖凡二頓を対するに、凡を採るを正門と為す。釈迦凡の為に出でて、唯頓一乗を説く。」(淨土法門源流章) と、聖頓・凡頓に分け凡頓を正門とし、その凡頓一乗を説くことが釈尊出世の本懐であるとする。凡頓とは凡夫が頓に仏に成る教えであり、聖頓とは聖道門内の頓教であるとされ、末法の世では聖頓の教えは形骸化しており、凡頓の教えのみが唯一の成仏道であるとされた。いわゆる浄土門の信の一念を強調する立場から聖道無得道説を唱えたので既存の諸宗派から激しい非難をうけたのみならず、同門の折衷穏健派(鎮西派)からも批判された。ある意味で御開山はこの幸西大徳の「仏智一念」の信心説を大乗仏教の「悉皆成仏」の理念によって展開されているのであった。