水月を感じて…
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すいげつをかんじて-しょうこうをえたり
水は昇らずして月をうつし、月は降りることなく水にうつるということ。 水を凡心に、月を仏心に喩えて、凡心と仏心が念仏の行によって相応し一体となることを示す。 (選択集 P.1292)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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『法華玄義』(天台)。妙法蓮華經玄義
- 水不上昇 月不下降 一月一時普現衆水 諸仏不来衆生不往 慈善根力 見如此事 故名感応妙。
- 水
上 り昇 らず、月下 り降 らずして、一月一時に普く衆水に現じ、諸仏来らず、衆生往 かずして、慈善根の力、此の如きの事を見る、故に感応妙と名く。
- 水
『念仏三昧法王論』(飛錫)念佛三昧寶王論
- 念者念於一佛。諸佛現前。経所謂
- 水不上升 月不下降 光浄因縁 虚空皎月 現於清水。
- 彼仏不来 我身不往 念仏因縁 如来寶月 現於心水。
- 念は一佛を念ぜば、諸仏現前す。経に謂ふ所、
- 水上り升らず、月下り降らずして、光浄の因縁、虚空の皎月は、清水に現ず。
- 彼の仏来らず、我が身は往かずして、念仏の因縁、如来の宝月は、心水に現ずるなり。
法然聖人には月に関する法語が多い。以下は「諸人伝説の詞」から。
- 又人目をかざらずして、往生の業を相続すれば、自然に三心は具足する也。
- たとへば葦のしげき池に、十五夜の月のやどりたるは、よそにては月やどりたりとも見えねども、よくよくたちよりてみれば、あしまをわけてやどるなり。妄念のあしはしげげれとも、三心の月はやどる也。(諸人伝説の詞)
葦と
それはまた「念仏往生要義抄」に、
- されば古人のいへる事あり、「煩悩は身にそへる影、さらむとすれどもさらず、菩提は水にうかべる月、とらむとすれどもとられず」と。(「念仏往生要義抄」p.593)
とあるように、空にある月を取ることが出来ないのと同じく、水に映る月を取ることは出来ないが、仏心であるような信心は私のものではないが私の上にあるのであった。