一分…歓喜せん
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いちぶん…歓喜せん
通常は「一分の毛をもつて大海の水の二三渧のごときを分ち取るがごとし。苦のすでに滅するは大海の水のごとし。余のいまだ滅せざるものは二三滴のごときなれば心大いに歓喜す」と読む。「渧」はしずくの意。
親鸞聖人は「信心の行者は煩悩具足の身であって、滅した苦しみは、大海の水の二三滴ほどでしかないが、それでもなお歓喜する」という意に転じ、原文を読み改められた。(行巻 P.147)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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『十住毘婆沙論』原文
如以一分毛 分取大海水 若二三渧。
- 一分の毛をもつて大海の水の二三渧のごときを分ち取るがごとし。
苦已滅者 如大海水。
- 苦のすでに滅するは大海の水のごとし。
余未滅者 如二三渧 心大歓喜。
- 余のいまだ滅せざるものは二三滴のごときなれば心大いに歓喜す。(*)
御開山の訓 助辞の者を省いて読まれている。
如以一分毛 分取大海水 若二三渧苦已滅。
- 一分の毛をもつて大海の水を分ち取るがごときは、二三渧の苦すでに滅せんがごとし。
如大海水 余未滅者。
- 大海の水は余のいまだ滅せざるもののごとし。
如二三渧心大歓喜。
- 二三渧のごとき心、大きに歓喜せん。(行巻 P.147)