五徳瑞現
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ごとく-ずいげん
「大経」 を説こうとしている釈尊があらわした勝れたすがたのこと。阿難はこの瑞相を、
大聖、わが心に念言すらく、今日世尊、奇特の法に住したまへり。今日世雄、仏の所住に住したまへり。今日世眼、導師の行に住したまへり。今日世英、最勝の道に住したまへり。今日天尊、如来の徳を行じたまへり。去・来・現の仏、仏と仏とあひ念じたまへり。(大経 P.8,教巻 P.135)
と五つの徳と表現したので五徳といふ。御開山は憬興師の『述文賛』を引いて、
- 〈今日世尊住奇特法〉といふは、神通輪によりて現じたまふところの相なり。ただつねに異なるのみにあらず。また等しきものなきがゆゑに。
- 〈今日世雄住仏所住〉といふは、普等三昧に住して、よく衆魔雄健天を制するがゆゑに。
- 〈今日世眼住導師行〉といふは、[五眼を導師の行と名づく。衆生を引導するに過上なきがゆゑに。
- 〈今日世英住最勝道〉といふは、[仏、四智に住したまふ。独り秀でたまへること、匹しきことなきがゆゑに。
- 〈今日天尊行如来徳〉といふは、[すなはち第一義天なり。仏性不空の義をもつてのゆゑに。(教巻 P.138)
とされ、仏と仏があい念じたまう経語によって『無量寿経』は釈尊の出世本懐の経であるとし、 真実の教とされた。