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指方立相

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2017年10月15日 (日) 13:39時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

この項目、「指方立相」は書きかけです。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。

指方立相(しほう-りっそう)

浄土の処を西方と示し、具体的な阿弥陀仏や浄土の荘厳てて現すこと。仏の(ましま)す世界は清浄なさとりの世界であるから本来は無方無相である。しかし、それでは凡夫には、さとりの(さかい)である浄土を理解する手掛かりが全く無いので、釈尊は具体的に(ほう)(ほうこう)と(しょ)(ところ)を指し示し、浄土の荘厳の相(すがた)を立(弁立)てて、西方に浄土として説かれた、というのが善導大師の指方立相である。 『観経疏』定善義に、

又今此観門等唯 指方立相、住心而取境。総不明無相離念也。
またいまこの観門は等しくただ方を指し相を立てて、心を住めて境を取らしむ。 総じて無相離念を明かさず。
如来懸知末代罪濁凡夫 立相住心尚不能得。何況離相而求事者、如似無術通人居空立舎也。
如来(釈尊)はるかに末代罪濁の凡夫の相を立てて心を住むるすらなほ得ることあたはず、いかにいはんや相を離れて事を求むるは、術通なき人の空に居して舎を立つるがごとしと知りたまへり。 (定善義p.432)

とあるのが「指方立相」の語の出拠である。
『無量寿経』には、

法蔵菩薩、今已成仏、現在西方。去此十万億刹。其仏世界、名曰安楽。
法蔵菩薩、いますでに成仏して、現に西方にまします。ここを去ること十万億刹なり。その仏の世界をば名づけて安楽といふ。(大経p.28)

と、西方の安楽(あんらく)浄土が説かれ、『阿弥陀経』には、

従是西方、過十万億仏土有世界、名曰極楽。
これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。
其土有仏。号阿弥陀。今現在説法。
その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。 (小経p.121)

と、極楽(ごくらく)浄土が説かれている。善導大師は、この『阿弥陀経』の文を解釈し、

「仏(釈尊)、凡聖の機と時と悟とを知りたまひて、すなはち舎利に告げて用心して聴かしめたまふ。一切の仏土みな厳浄なれども、 凡夫の乱想おそらくは生じがたければ、如来(釈尊)別して西方の国を指した まふ。」(法事讃 P.551)

と、凡夫の救済を表すために、釈尊はことさらに極楽(浄土)を西方と説かれたのだとする。なお安楽や極楽の語は梵語sukhāvatī( スカーヴァティー)の翻訳語で煩悩の滅却した「幸ある処」という意味である。須摩提(しゅまだい )と音写する。煩悩に四苦八苦している凡夫にとって煩悩の火が消えた清らかな浄土は「幸ある処」でもある。
この浄土が西方であることの意を、道綽禅師は『安楽集』で、

閻浮提、云日出処名生、没処名死……是故法蔵菩薩願成仏、在西悲接衆生
閻浮提には、日の出づる処を生と名づけ、没する処を死と名づく……このゆゑに法蔵菩薩願じて成仏し、西にありて衆生を悲接したまふ。 (p.270)

と、日が東から出て西へ沈むように、西方は生の帰する処であるから阿弥陀仏は西に浄土を建立したのだという。善導大師は釈尊の教説として浄土は西方であると示された(釈尊の弁立)とし、道綽禅師は阿弥陀仏が、その本願に依って西方に浄土を建立された(阿弥陀仏の建立)とする違いはあるのだが、ともに西方という方処を指し示すのである。仏教では自己の存在の拠り所を帰依というのであるが、浄土真宗では、死のするところは浄土であるとし、この帰するところが生のるべきところでもあるから帰依という。浄土が目指べき方処であるから生き方もまた生の依って立つところなのである。
なお、天親菩薩の『浄土論』には、

観彼世界相 勝過三界道。究竟如虚空 広大無辺際。
かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。究竟して虚空のごとく、広大にして辺際なし。 (浄土論 P.29)

と、浄土は、この世を勝過し、虚空のように広大で辺際が無いと論じている。浄土は西方であると指示しながら、実は辺際(はて、限り)が無い虚空のごとしというのであるから、無方無相である。御開山は、この『浄土論』の「観彼世界相 勝過三界道。究竟如虚空 広大無辺際」を、
(12)

安養浄土の荘厳は
 唯仏与仏の知見なり
 究竟せること虚空にして
 広大にして辺際なし

と、和讃しておられる。御開山は、唯仏与仏の知見(ただ仏と仏のみが知見しうる境界)であるのが浄土であるといわれるのである。

以下、『浄土論註』の広略相人を論じたり、『安楽集』での曇鸞大師の、またつねに世俗の君子ありて、来りて法師を呵していはく、「十方仏国みな浄土たり、法師なんぞすなはち独り意を西に注むる。 あに偏見の生にあらずや」などのエピソードを論じて、凡情を遮せずという西方に沈む夕日に合掌礼拝してきた日本人の生死について記述されれば幸甚である。

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