大悲広慧の力
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だいひこうえのちから
広大ですぐれた阿弥陀仏の慈悲と智慧の力。(信巻 P.211, 浄文 P.480)
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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「広慧の力」とは『如来会』の胎化得失(方便化土の胎生と真実報土の得失)を説く一段(*)にあり、真実報土への往生の信は「みづからの善根において信を生ずることあたはず」とされる。そして如来の智慧である「広慧の力」に依るがゆえに正覚の蓮華のうちに化生するのだとされる。御開山はこの『如来会』の文を「化巻」で以下のように引文され、おのれの修する雑多な自力の善に迷うなとされる。
【8】『如来会』(下)にのたまはく、「仏、弥勒に告げたまはく、〈もし衆生ありて、疑悔に随ひて善根を積集して、仏智・普遍智・不思議智・無等智・威徳智・広大智を希求せん。みづからの善根において信を生ずることあたはず。
この因縁をもつて、五百歳において宮殿のうちに住せん。{乃至}阿逸多(弥勒)、なんぢ殊勝智のものを観ずるに、かれは広慧の力によるがゆゑに、かの蓮華のなかに化生することを受けて結跏趺座せん。なんぢ下劣の輩を観ずるに、{乃至}
もろもろの功徳を修習することあたはず。ゆゑに因なくして無量寿仏に奉事せん。このもろもろの人等は、みな昔の縁、疑悔をなして致すところなればなり〉と。{乃至}仏、弥勒に告げたまはく、〈かくのごとし、かくのごとし。もし疑悔に随ひて、もろもろの善根を種ゑて、仏智乃至広大智を希求することあらん。みづからの善根において信を生ずることあたはず。仏の名を聞くによりて信心を起すがゆゑに、かの国に生ずといへども、蓮華のうちにして出現することを得ず。かれらの衆生、華胎のうちに処すること、なほ園苑宮殿の想のごとし〉」と。{抄要}(化巻 P.379)
仏教とは智慧と慈悲の宗教であり、特に浄土教は慈悲を重視するので、如来の大悲と如来の広慧の力によって信を賜ることを「大悲広慧の力」とされたのであろう。また大悲とは「行巻」で「しかるにこの行は大悲の願(第十七願)より出でたり」(行巻 P.141)という選択本願念仏の可聞可称の〔なんまんだぶ〕であった。