畢竟涅槃にあらざる
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ひっきょうねはんにあらざる
如来は絶えず生死(しょうじ)の迷いの世界で活動されるから、涅槃にとどまらないという意。(真巻 P.348)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- 『涅槃経』の原文と訓:
以是義故。如來實不畢竟涅槃。
- この義をもっての故に、如来は実に畢竟涅槃せず。
是名菩薩 修大涅槃微妙經典 具足成就 第七功徳。
- これを菩薩、大涅槃微妙の経典を修して、第七の功徳を具足し成就すと名づく。
- 御開山の訓:
如来実不畢竟涅槃と次の文である是名菩薩を合わせ、修大涅槃微妙経典 具足成就 第七功徳、以下を略し
以是義故。如来実不畢竟涅槃。是名菩薩。
- この義をもつての故に、如来は実に畢竟涅槃にあらざる、これを菩薩と名づく。
と訓じられた。当面は「如来は実に畢竟涅槃せず」と如来常住をいう文を、如来は涅槃にあらざるとして、涅槃には止まっていないと読まれ、如来は絶えず菩薩として生死の世界で動的に活動する意をあらわすために、このように読まれた。
智慧あるがゆえに生死に住せず。慈悲あるがゆえに涅槃に住せず、という無住処涅槃をあらわそうとされたのである。