あぬるだ
提供: WikiArc
増壹阿含經卷第三十一(T0125_.02.0717b14)
聞如是。一時佛在舍衞國祇樹給孤獨園。
爾時世尊與無央數百千萬衆而爲説法。爾時阿那律在彼坐上。是時阿那律在衆中睡眠。爾時佛見阿那律睡眠。便説此偈
- 受法快睡眠 意無有錯亂
- 賢聖所説法 智者之所樂
- 猶如深淵水 澄清無瑕穢
- 如是聞法人 清淨心樂受
- 亦如大方石 風所不能動
- 如是得毀譽 心無有傾動
是時世尊告阿那律。汝畏王法及畏盜賊而作道乎。
阿那律報曰不也世尊。
佛告阿那律。汝何故出家學道。
阿那律白佛言。厭患此老病死愁憂苦惱。爲苦所惱故欲捨之。是故出家學道。
世尊告曰。汝今族姓子。信心堅固出家學道。世尊今日躬自説法。云何於中睡眠。
是時尊者阿那律即從座起偏露右肩。長跪叉手白世尊言。自今已後形融體爛。終不在如來前坐睡。爾時尊者阿那律達曉不眠。然不能除去睡眠。眼根遂損。
爾時世尊告阿那律曰。勤加精進者。與調戲蓋相應。設復懈怠與結相應。汝今所行當處其中。
阿那律白佛。前已在如來前誓。今不能復違本要。
是時世尊告耆域曰。
療治阿那律眼根。
耆域報曰。若阿那律小睡眠者我當治目。
世尊告阿那律曰。汝可寢寐。所以然者。一切諸法由食而存非食不存。眼者以眠爲食。耳者以聲爲食。鼻者以香爲食。舌者以味爲食。身者以細滑爲食。意者以法爲食。我今亦説涅槃有食。
阿那律白佛言。涅槃者以何等爲食。
佛告阿那律。涅槃者以無放逸爲食。乘無放逸得至於無爲。
阿那律白佛言。世尊。雖言眼者以眠爲食。然我不堪睡眠
爾時阿那律縫故衣裳。是時眼遂敗壞。而得天眼無有瑕穢。是時阿那律。以凡常之法而縫衣裳。不能得使縷通針孔中。是時阿那律便作是念。諸世間得道羅漢當與我貫針。
是時世尊以天耳清淨聞此音聲。諸世間得道阿羅漢者。當與我貫針。
爾時世尊至阿那律所而告之曰。汝持針來吾與貫之。
阿那律白佛言。向所稱説者。謂諸世間欲求其福者與我貫針。
世尊告曰。世間求福之人無復過我。如來於六法無有厭足。云何爲六。一者施。二者教誡。三者忍。四者法説義説。五者將護衆。六者求無上正眞之道。是謂阿那律。如來於此六法無有厭足。
阿那律曰。如來身者眞法之身。復欲更求何法。如來已度生死之海。又脱愛著。然今日故求爲福之首。
世尊告曰。如是阿那律。如汝所説。如來亦知此六法爲無厭足。若當衆生知罪惡之原身口意所行者。終不墮三惡趣。以其衆生不知罪惡之原故墜墮三惡趣中。
爾時世尊便説此偈
- 世間所有力 遊在天人中
- 福力最爲勝 由福成佛道
是故阿那律當求方便得此六法。如是諸比丘當作是學。爾時諸比丘聞佛所説。歡喜奉行。
聞くこと是の如し。一時仏、舎衛国祇樹給孤独園に在(おわ)しき。爾の時、世尊、無央数百千万衆の與(ため)に説法を為したまひき。
爾の時、阿那律、彼の坐上に在り。是の時、阿那律衆中に在りて睡眠(ねむ)りぬ。爾の時仏、阿那律の睡眠れるを見たまひて、便ち此の偈を説きたまわく。
- 法を受くれば快く睡眠り 意(こころ)錯乱有ること無し
- 賢聖の説く所の法は 智者の楽しむ所なり
- 猶し深淵の水の 澄清にして瑕穢無きが如く
- 是の如く法を聞く人は 清浄にして心楽受なり。
- 亦た大方石の 風に動くこと能はざる所なる如く
- 是の如く毀誉を得るも 心、傾動有ること無し。
是の時世尊、阿那律に告げたまわく、「汝王法を畏れてや及び盗賊を畏れてや道を作す乎(や)」と。
阿那律、報(こた)へて曰さく、「不(いな)なり世尊」と。
仏、阿那律に告げたまわく、「汝何故に出家学道せしや」と。
阿那律、仏に白して言さく、「此の老・病・死・愁・憂・苦・悩、苦の為に悩まさる所(る)るを厭患せしが故に、之(これ)を捨てんと欲し、是の故に出家学道せり」と。
世尊、告げて曰はく、「汝今族姓子、信心堅固にして出家学道せしや、世尊、今日躬(み)自ら法を説くに、云何が中に於いて睡眠せしや」と。
是の時尊者阿那律、即ち座より起ち、偏へに右肩を露はし、長跪叉手して世尊に白して言さく、「今より已後、形融け体爛(ただ)るとも、終(つい)に如来の前に坐して睡らじ」と。爾の時尊者阿那律、暁に達するも眠らず、然も睡眠を除去すること能はず、眼根遂に損しぬ。
爾の時世尊、阿那律に告げて曰はく、「勤加精進する者は、調戯蓋と相応す。設(も)し復た、懈怠せば結と相応す。汝の今の所行は、当に其の中に処るべし」と。
阿那律仏に白さく、「前に已に如来の前に在りて誓へり、今復た本要に違ふこと能はず」と。
是の時世尊、耆域に告げて曰く、
「阿那律の眼根を療治せよ」と。
耆域報へて曰さく、「若し阿那律にして小(すこ)しく睡眠せば、我当に目を治すべし」と。
世尊阿那律に告げて曰はく、「汝、寝寐るべし。然る所以は、一切の諸法は食するに由りて存す、食するに非らずば存せず。眼は眠りを以て食と為し、耳は声を以って食と為し、鼻は香を以て食と為し、舌は味を以て食と為し、身は細滑を以て食と為し、意は法を以て食と為す。我今亦た涅槃に食有りと説く」と。
阿那律仏に白して言さく、「涅槃は何等を以て食と為すや」と。
仏、阿那律に告へたまわく、「涅槃は無放逸を以て食と為す。無放逸に乗ずれば無為に至ることを得ん」と。
阿那律、仏に白して言さく、「世尊、眼は以眠りを以て食と為すと言ふと雖も、然も我睡眠に堪えまじ」と。
爾の時。阿那律、故(ふる)き衣裳を縫へり。是の時 眼遂に敗壊して天眼を得、瑕穢有ること無し。是の時 阿那律、凡常の法を以て衣裳を縫ひ、縷(いと:糸)をして針の孔中に通ぜ使(し)むることを得る能はず。是の時阿那律、便ち是の念を作さく、「諸の世間の得道の羅漢は当に我の与(ため)に針を貫くべし」と。
是の時世尊、天耳の清浄なるを以て此の音声を聞きたまへり、「諸の世間の得道の阿羅漢は、当に我の与に針を貫くべし」と。
爾の時世尊、阿那律の所に至り之(これ)に告げて曰はく、「汝針を持して来れ、吾[汝が]与に之を貫かん」と。
阿那律仏に白して言さく、「向(さき)に称説する所は、諸の世間の其の福を求めんと欲する者は、我与に針を貫けと謂ふなり」と。
世尊告げて曰はく「世間に福を求むるの人復た我に過ぐるもの無し。如来は六法に於いて厭足有ること無し。云何ぞ六と為すや。一には施、二には教誡、三には忍、四には法説・義説。五には衆[生]を将護し、六には無上正真の道を求む。是れを阿那律、如来は此の六法に於いて厭足有ること無しと謂ふなり」と。
阿那律曰さく、「如来の身は真に法の身なるに、復、更に何の法を求めんと欲したまふや。如来は已に生死の海を度し、又愛著を脱したまへり。然るに今日は故(さら)に、福の首為ることを求めたまふや」と。
世尊告げて曰はく、「是くの如し、阿那律、汝の所説の如く、如来も亦た此の六法を知りて、為に厭足無し。若し当に衆生にして、罪悪の原(もと)、身・口・意の所行を知るべくんば、終に三悪趣に堕せじ、其の衆生罪悪の原を知らざるを以ての故に、三悪趣の中に墜堕するなり」と。
爾の時世尊、便ち此の偈を説きたまわく、
- 世間に所有の力 天人の中に遊在するに
- 福力最も勝れ為(た)り 福に由て仏道を成ず。
是の故に阿那律、当に方便を求めて此の六法を得べし。是の如く諸比丘、当に是の学を作すべし」と。
爾の時諸比丘、仏の所説を聞いて、歓喜奉行しぬ。