善知識
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ぜんぢしき
よきとも。
また仏道に入らせる縁を結ばせる者や、共に仏道を励む人をいう。浄土真宗では、とくに念仏の教えを勧め導く人をいう。また、本願寺歴代の宗主を指す場合もある。(真要鈔 P.960)
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- 原義は、よきとも=良い友人=自分をよく知ってくれる人の意。
正しい道理を教える者を善知識(
真宗では念仏の教えをすすめるものを善知識というが、その人をただちに如来になぞらえて善知識は如来であるから善知識のみをたのめ、と主張する異計(異安心)は、「善知識だのみ」、「知識帰命」といって排撃する。また法主を、正しく法灯を継承した人として善知識ということもある。法蔵館『仏教学辞典』より。
親鸞聖人の積学は天台学であったから、以下、天台における善知識の三種の考察をするのに資する『摩訶止観』における三種の善知識の出拠資料へリンクしておく。
知識に三種あり、一には外護。二には同行。三には教授。『摩訶止観』
- 「外護の善知識」外護者。在俗にあって三宝(仏・法・僧)を護る者で、いわゆる門信徒。
- 「教授の善知識」この道を往け、この法を修せよと教え勧めてくれる者のこと。
- 「同行の善知識」同じ教えを聞いて同じ行業の道を歩んでいる者。真宗では、御同行・御同朋のこと。
なんまんだぶと称える往生成仏の法を、生と死を超える業因であると受け入れるのが浄土真宗における信である。しかるに我至成仏道 名声超十方と届いている名号法を見聞することなく、法を説く人格に帰依しょうとするのが、知識帰命の異計である。善知識の姿の影を踏み、善知識の衣(ころも)が手に執るほどに近づくことが法を信知することだと錯覚している人に、↓の法語をお奨め。