しょうとく・しゅとく
性徳 ・修徳
一般に性徳 ・修徳、または自性得・人功得、などと、天台宗では徳の字を用いる。衆生が本性として備えている先天的能力を性徳、修行によって得る後天的な能力を修徳という。
浄土門では、阿弥陀如来因位の修徳である光寿二無量の果、名号上で、真如、法性、一如をいう。如来の修徳の上で性徳を語る。これに対して聖道門では自身の性徳の上において修徳を語る。客塵煩悩説のように、修行に依って煩悩がはらわれるとする。