興福寺奏状
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第六に浄土に暗き失。
観無量寿経を勘ふるに、云く、「一切の凡夫、かの国に生ぜんと欲せば、まさに三業を修すべし。
一は、父母に孝養し、師長に奉仕し、慈心にして殺さず、十善の業を修す。
二は、三帰を受持し、衆戒を具足して、威儀を犯さず。
三は、菩提心を発して、深く因果を信じ、大乗を読誦すべし」と云云。
また九品生の中に上品上生を説いて云く、「諸の戒行を具し、大乗を読誦すべし」、中品下生に、「父母に孝養し、世の仁慈を行ふべし」と云云。
曇鸞法師は念仏の大祖たり。往生の上輩において五種の縁を出せり。その四に云く、「修諸功徳」、中輩七縁の中に、「起塔寺」「飲食沙門」云云。
また道綽禅師、常修念仏三昧の文を会して云く、「念仏三昧を行ずること多きが故に常修と言ふ、全くに余の三昧を行ぜずと謂ふにはあらざるなリ」と云云。
善導和尚は、見るところの塔寺、修葺せずといふことなし。しからば、上、三部の本径より、下、一宗の解釈に至るまで、諸行往生、盛んに許すところなり。
しかのみならず、曇融、橋を亘し、善晟、路を造り、常晏、堂を修し、善冑、坊を払ひ、空忍、花を採み、安忍、香を脚き、道如、食を施し、僧慶、衣を縫ふ。おのおの事相の一善を以て、皆順次の往生を得。 僧揄の阿含を持し、行衍の摂論を講ぜし、小乗の一経と雖も、凡智の講解と雖も、おのおの感応あり、実に浄土に詣す。沙門道俊は、念仏隙なくして大般若を書せず。覚親論師は、専修他をわすれて釈迦の像を造らず。皆往生の願を妨げて、大聖の誡を蒙る、永くその執を改めて、遂に西方にしょうず。
まさに知るべし、余行によらず、念仏によらず、出離の道、ただ心に在り。
もし夫れ法花に即往安楽の文ありと雖ども、般若に随願往生の説ありと雖も、彼はなほ惣相なり、少分たり。別相の念仏に如かず、決定の業因に及ばずとならば、惣は則ち別を摂して、上は必ず下を兼ぬ。仏法の理、その徳必ず然なり、何ぞ凡夫親疎の習を以て、誤つて仏界平等の道を失はんや。
もし往生浄士は、行者の自力にあらざれば、ただ弥陀の願カを憑む。余経余業においては、引摂の別縁なく、来迎の別願なし。念仏の人に対して及ぶこと能はざるにおいては、弥陀の所化として来迎に預るべし、あに異人ならんや、是の人なり。 釈迦の遺法に逢ひて、大乗の行業を修す、即ちその体なり。もしかの尊に帰せざれば、実に無縁と謂ふべし。もし念仏を兼ねざれば、かつは闕業たるべし。
既に二辺を兼ねたり、何ぞ引摂に漏れん。もし専念なき故に往生せずとならば、知覚禅師は毎日に一百箇の行を兼修せり、何ぞ上品上生を得たるや。およそ造悪の人は、救ひ難くして恣に救ひ、口に小善を称するは、生じ難くして倶に生ず。「乃至十念」の文、その意知るべし。
しかるに近代の人、あまつさへ本を忘れて末に付き、劣を憑みて勝を欺く。寧ぞ仏意に叶んや。かの帝王の政を布くにの庭に、天に代つて官を授くるの日、賢愚品に随ひ、貴賎家を尋ぬ。至愚の者、たとひ夙夜の功ありと雖も、非分の職に任せず。下賎の輩、たとひ奉公の労を積むと雖も、卿相の位に進み難し。
大覚法王の国、凡聖来朝の門、かの九品の階級を授くるに、おのおの先世の徳行を守る。自業自得、その理必然なり。しかるに偏に仏力を憑みて涯分を測らざる、是れ則ち愚凝の過なり。なかんづく、仮名の念仏、浄業熟し難く、順次往生、本意に違失あり、戒恵倶に闕く、待むところ何事ぞや。もし生生を経て漸く成就すべくは、一乗の薫修、三密の加持、あにまたその力なからんや。同じく沈むと雖も、愚団の者は深く沈み、共に浮むと雖も、智鉢は早く浮む。況んや智の行を兼ぬるは、虎の翅あるなり、一を以て多を遮す、仏宜しく照見すべし。ただし此のごときの評定、本より好まず。
専修の党類、謬つて井蛙の智を以てし、猥しく海鼈の徳を斥ふの間、黙して止み難く、遂に天奏に及べり。もし愚凝の道俗、この意を得ず、或いは往生の道を軽んじ、或いは念仏の行を退け、或いはまた余行を兼ねずして、浄土に生ずることなくは、全くに本懐にあらず、還つて禁制すべし。たとひまたこの事によつて、念仏の瑕瑾たりと雖も、その軽重を比するに、なほ宣下に如かざるか。