かん
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観
- ここでは本願力を観知する他力信心の意。『一多証文』には「観」の字を解釈して「観は願力を心にうかべみると申す。またしるといふ心なり」とある。(行巻 P.154, 化巻 P.388)
- 「観の字、東大寺の覚寿僧都『観経義』にこれあり。世に流布するは願の字なり」と註記がある。高田派
専修寺 蔵宗祖加点『観経疏』や本山蔵宗祖真蹟『観経集註 』では「願」の字を用いてある。(愚禿上 P.512)
(かん)
- 梵語ヴィパシャナー(vipaśyanā)の漢訳。
毘鉢舎那 ・毘婆舎那・毘波奢那と音写し、観察 と漢訳する。智慧 で物事の道理をありのままに観ること。止 (奢摩他 śamatha)と並べて止観という。→止観 (しかん) - 親鸞聖人は観を本願力をこころに思いうかべることとされる。
【左訓】「みるなり、しるこころなり」(一多 P.691)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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