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といへり

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2005年10月19日 (水) 10:54時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

 以上の文は『存覚法語』に引く後鳥羽上皇の『無常講式』からの引用であるため「といへり」という。(御文章 P.1203)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

「世をこぞって蜉蝣の如し。朝に死し、夕べに死し、別れるものの幾許ぞや。或いは、昨日已に埋みて、墓の下に涙を拭う者、或いは今夜に送らんと欲して、棺前に別れを泣く人。およそはかなきものは人の始中終、幻の如くなる一期の過ぎる程なり。三界無常なり。古より未だ万歳の人身あることを聞かず。一生過ぎやすし。今にいたって、たれか百年の形態を保つべきや。実に我や前、人や前、今日とも知らず、明日とも知らず、後れ先だつ人、本の滴、末の露よりも繁し。原野を指して、独り逝地と為す。墳墓を築き、永く栖み家と為す。焼きて灰となり、埋みて土となる。人の成りゆく終わりのすがたなり。」

『存覚法語』、『聖教全書三』歴代部P360


擧世如浮蝣。于朝死于夕死別者幾許哉。

或昨日已埋*涙於墓下之者。或今夜欲送

泣別棺前之人。凡無墓者人始中終。如幻

者一朝過程也。三界無常也。自古未聞有

萬歳人身。一生易過。在今誰保百年形體。

實我前人前。不知今日不知明日。後先人

繁本滴末露。指厚野爲獨逝地築墳墓、爲

永栖家。燒爲灰埋爲土。人成之終之資也。


嗚呼。撫雲鬢戲花間朝。百媚雖難別、先

露命、臥蓬下。夕九相皆可捨爛一兩日過

者悉傍眼。臭三五里行人皆塞鼻。便利二

道中白蠕蠢出。手足四支上青蠅飛集。虎

狼野干馳四方、置十二節於所々。鵄梟*

鷲啄五藏、投五尺腸於色々。内落皮剥但

生髑髏、日曝雨洗、終朽成土。雲鬢何収。

華貌何壞。眼秋草生。首春苔繁。白樂天

云、「故墓何世人。不知姓與名。和爲道頭

土。年々春草生云云。」西施顔色今何在。

可有春風百草頭云云。再生汝今過壯位。

死衰將近閻魔王。欲往先路、無資糧。求

住中間、無所止。一切有爲法如夢幻泡影。

如露亦如電。應作如是觀。

南無阿彌陀佛

「後鳥羽天皇御作無常講式」