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肉付腹籠聖教

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肉付腹籠聖教

 にくづき-はらごもり-しょうぎょう

文明6年 1474 3月28日、吉崎(福井県)炎上の際、蓮如が居室に残した教行信証の証巻を取り出すため、本向坊了顕が火中に飛び込み焼死したが、証巻は割腹した腹中に納めてあり、焼失を免れると伝える。(真宗新辞典)

◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:肉付腹籠聖教

蓮如上人には、奇譚奇瑞の伝説が多くある。この本向坊了顕の逸話も文明6年(1474)の吉崎炎上を元に創作された逸話であろう。
傍証として、御文章集成#吉崎炎上時のお文には、これほどの重大なことが記述されていない。
 なお、本向坊了顕の腹籠聖教の逸話の初出は『真宗懐古鈔』であり、寛永(1624~1645)以前の「本向寺記録」を参照したとされる。文明6年(1474)の吉崎炎上から百五十数年以上経過した末寺の本向寺の記録に拠ったとされるのだが疑念の残るところである。

ただドラスティック(過激で極端な)な話なので愛山護法の精神を煽るために盛んに説教などで語られ、事実だとされていったのであろう。