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氷上燃火

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ひょうじょう-ねんか

ひょうじょう-ねんか 氷上燃火

 『論註』((論註 P.126) に出る喩え。往生を実体的な生としか認識できない下品下生凡夫であっても、名号のはたらきにより往生すれば、浄土の徳によって見生の惑(実の生があるととらわれる心)が消えて無生の智慧へと転じられていくことを、氷の上で燃えている火が、氷を水にかえるとともに、その溶けた水によって自身も消えてしまうことに喩えていう。(浄土真宗辞典)

曇鸞大師の巧みな氷上燃火の譬喩。

かの清浄仏土に阿弥陀如来無上の宝珠まします。無量の荘厳功徳成就の帛(きぬ)をもつて裹(つつ)みて、これを往生するところのひとの心水に投ぐれば、あに生見を転じて無生の智となすことあたはざらんや。
 また氷の上に火を燃(た)くに、火猛(たけ)ければすなはち氷解く。氷解くればすなはち火滅するがごとし。かの下品の人、法性無生を知らずといへども、ただ仏名を称する力をもつて往生の意(こころ)をなして、かの土に生ぜんと願ずるに、かの土はこれ無生の界なれば、見生の火、自然に滅するなり。(論註P.126)

見生の火とは浄土を実体とみる凡情であるが、「ただ仏名(なんまんだぶ)を称する力をもつて往生の意」をなす者は、氷の上で火を燃やせば氷がとけて火が消えるように、凡夫の抱く見生の火は浄土に往生すれば自然に滅するのである。

無生の智
無生の生
凡情を遮せず