易行道
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いぎょうどう
阿弥陀仏の本願力によって浄土に往生してさとりをひらく他力の道。→難行道(なんぎょうどう)。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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龍樹菩薩は『十住毘婆沙論』で、
仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾(と)く阿惟越致に至るものあり。(十住毘婆沙論 P.5)(行巻 P.151)
と、信方便易行の仏道があることを示されていた。
これを自らの足でさとりを目指す陸道の歩行の「難行道」と船に乗ってさとりを目指す水道の乗船の「易行道」といふ。
御開山は{乃至}して、
〈もし人疾く不退転地に至らんと欲はば、恭敬の心をもつて執持して名号を称すべし〉。もし菩薩、この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲(おも)はば、まさにこの十方諸仏を念ずべし。名号を称すること『宝月童子所問経』の「阿惟越致品」のなかに説くがごとしと。
と、名号を称することを不退転に至ると信じる信方便易行の仏道だとされた。
- →難易二道