真実
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しんじつ
- Ⅰ.
教法 についていう場合。邪偽 (外教)・権仮 (聖道、第十九・二十願の法門)に対して第十八願の法門を真実という。
- Ⅱ.
虚妄 である自己と社会の現実に対して如来の願心を真実という。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- 真実
まことの意。
- Ⅰ 真如法性そのものをいう。また、真如法性にかなった如来の願心やはたらきをいう。『一多文意』には、
- 「至心」は真実といふことばなり、真実は阿弥陀如来の御こころなり。 (一多 P.678)
- とある。 →真実功徳相。
- Ⅱ
邪偽 (外教)・権仮 (聖道、第十九・二十願の法門)に対して第十八願の法門を真実という。『浄土和讃』には、
とある。(浄土真宗辞典)
御開山は、自らに真実が無いということを真実とされた。それは真実の意味を『論註』の真実功徳釈に拠られたからであった。
「真実功徳相」とは、二種の功徳あり。
- 一には有漏の心より生じて法性に順ぜず。いはゆる凡夫人天の諸善、人天の果報、もしは因もしは果、みなこれ顛倒、みなこれ虚偽なり。このゆゑに不実の功徳と名づく。
- 二には菩薩の智慧清浄の業より起りて仏事を荘厳す。法性によりて清浄の相に入る。この法顛倒せず、虚偽ならず。名づけて真実功徳となす。いかんが顛倒せざる。法性によりて二諦に順ずるがゆゑなり。いかんが虚偽ならざる。衆生を摂して畢竟浄に入らしむるがゆゑなり。 (論註 P.55)