僧にあらず俗にあらず
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そうにあらず-ぞくにあらず
「非僧非俗(ひそう-ひぞく)」。 『教行信証』後序に出る語。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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語の出拠:
処分に対する宗祖の反応
- 非僧 僧籍剥奪。 僧に非ず→肯定。
- 非俗 還俗。 俗に非ず→否定。 還俗名 藤井善信(歎異抄)の姓を否定→愚禿と自称
- 1211年。親鸞聖人三十九歳の時に赦免。当時は赦免されれば僧籍は復活されたといわれる。
御開山は、日本人に「何をよろこび、何をかなしむべきか」を教えて下さった方であるといわれる。ほとんど自らの出自や感情を語ることのなかった御開山には、三哉(さんかな・さんさい)という文がある。
- 誠哉 摂取不捨真言 超世希有正法 聞思莫遅慮。
- 誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法聞思して遅慮することなかれ。(総序 P.132) 《誠哉》
- 爰愚禿釈親鸞 慶哉 西蕃・月支聖典 東夏・日域師釈 難遇 今得遇 難聞已得聞。
- ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。(総序 P.132) 《慶哉》
御開山は、自らには真実はない、ということを真実とされた方であった。それ故に真実の教えに出遇われたことを「誠哉」「慶哉」といわれたのであろう。
- 誠知。悲哉愚禿鸞 沈没於愛欲広海 迷惑於名利太山 不喜入定聚之数。
- まことに知んぬ、悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべしと。(信巻 P.266) 《悲哉》
それはまた「悲哉」という真実たり得ない自己自身の述懐であり、「愚禿鸞」と仏弟子としての釈の字を省かれた意でもあった。「非僧非俗」の「僧にあらず」とは、真実に出遇いながら僧たり得ない自己の慚愧であり、「俗にあらず」とは、煩悩にまみれた俗にありながら真実の光に照し出され摂取された自身を感佩する語であった。
現代の浄土真宗の僧分の「非僧非俗」の理解は、僧でありながら仏弟子としての僧を否定して俗であることを非僧とし、その俗中の俗にもかかわらず、自らを世俗と遊離した非俗として僧であるといい名聞・利養を貪ることを正当化する語に成り下がっているのではなかろうか。僧而俗 俗而僧(僧のくせに俗、俗のくせに僧)たらんとするのが、現代の浄土真宗の僧分であろうと、秘かに現代の門徒は思ふ。
梯實圓和上は、ともすれば世俗の論理に陥りやすい浄土真宗を、
- 決して世俗を捨てることを要求されていないという意味で、浄土真宗は、在家仏教ということができます。しかし在家仏教とは、ただ愛欲と名利(みょうり)に明け暮れるだけの人生を肯定するものではありません。
- 決して仏教を世俗化するものであってはならないのです。世俗化された仏教には世俗を救う力はないからです。
- 在家仏教とは、むしろ世俗の生活に仏道としての意味をもたせていく仏教であるというべきです。→在家仏教ということ
と、「世俗化された仏教には世俗を救う力はない」と示されていた。
仏教では経典、および仏法を明らかにした菩薩や高僧の著述を聖教というのであるが、現代の真宗の僧侶は聖なるものに対する畏敬の精神を忘れ、在家仏教を標榜することを自らの怠惰の隠れ蓑としているのではなかろうか。真宗でよく使われる表現である「私は凡夫である」という表現は、御開山の意によれば凡夫であることを痛み自らの生き方を慚愧する語なのだが、この凡夫という語を怠惰の隠れ蓑として使う僧俗が多いのは、まったく御開山が使われた「非僧非俗」という意からの乖離であろう。悲しきことである。
ともあれ、御開山の示して下さった浄土真宗とは、
- 無慚無愧のこの身にて
- まことのこころはなけれども
- 弥陀の回向の御名なれば
- 功徳は十方にみちたまふ (正像 P.617)
と、法然聖人から伝授された選択本願の〔なんまんだぶ〕を称える在家実践のご法義であった。 「非僧非俗」という述懐は、このような意で領解されるべき語であった。非僧非俗にして生死を出ずべき仏道であった。
- →凡数の摂
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- →愚禿
- →ノート:愚禿