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別伝記云

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2021年10月29日 (金) 10:14時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

別伝記云

別伝記云
別伝記に云く。

法然上人、美作州人也、姓漆間氏也、本国之本師智鏡房 {本ハ山僧}

法然上人は美作州の人なり。姓は漆間氏なり。本国の本師は智鏡房。{もとは山僧なり}

上人十五歳、師云非直人欲登山。

上人十五歳、師ただ人にあらず云いて山に登らしめんと欲す。

上人慈父云、我有敵、登山之後聞被打敵可訪後世云々

上人の慈父云く、我に敵(かたき)有り、登山の後に敵に打たれたるを聞かば後世をとぶらうべしと、云々。

即十五歳登山、黒谷慈眼房為師出家授戒。

すなわち十五歳にして山に登り、黒谷の慈眼房を師となし出家授戒せり。

然間慈父被打敵畢云、上人聞此由師乞暇遁世セムト云。

しかるあいだ慈父敵に打たれて畢(おわ)ると云、上人この由を聞き、師に暇(いとま)を乞い、遁世セムト云。

遁世之人無智悪候也、依之始談義於三所、謂玄義一所、文句一所、止観一所也。

遁世の人も無智なるは悪く候うなり、これに依り三所において談義を始む。いわく『玄義』一所、『文句』一所、『止観』一所なり[1]

毎日遇三所、依之三箇年亘六十巻畢。

毎日三所に遇い、これに依りて三箇年に六十巻[2]にわたり畢んぬ。

其後籠居黒谷経蔵、披見一切経、与師問答。

その後、黒谷の経蔵に籠居し、一切経を披見し、師と問答す。

師時閉口、師即捧二字云、知者為師、今上人返為師云々。

師、時に閉口す。師すなわち二字をささげて云く、知れる者を師となす、今上人を返りて師となすと、云々。

又花厳宗章疏見立、醍醐有花厳宗先達行決之。

また華厳宗の章疏を見立て、醍醐に華厳宗の先達あり、行きてこれを決す。

彼師云鏡賀法橋、法橋云、我雖相承此宗 此程不分明、依上人開処処不審云々

かの師をば鏡賀法橋と云、法橋の云、我この宗を相承すといへども、この程 分明ならず、上人に依りて処々の不審を開くと云々。

依之鏡賀二字即受梵網心地戒品。

これによりて鏡賀二字を、すなわち『梵網』の心地戒品を受く。

或時自御室鏡賀許 花厳 真言勝劣判可進云々

ある時、御室より鏡賀のもとへ華厳・真言の勝劣判じて進むべしと云々。

依之鏡賀思念、仏智照覧有憚、真言為勝。

これに依りて鏡賀思念すらく、仏智照覧にはばかり有りとも真言を勝となす。

爰上人、鏡賀許出来給、房主悦云、自御室有如此之仰云々。

ここに上人、鏡賀のもとへ出で来たもう、房主よろこびて云く、御室よりこのごときの仰ありき。

上人問、何様判思食。

上人問う、いかように判ずるとかおぼしめすと。

房主云如上申、此上人存外次第也。

房主云、上のごとく申す、この上人、存外次第なり。

源空所存一端申サムトテ、花厳宗勝真言事一一被顕、

源空所存の一端を申さんとて、華厳宗の真言に勝れたる事をいちいち顕わせらる。

依之房主承伏、御室返答、花厳勝タル之由申畢。

これにより房主承伏して、御室の返答に華厳勝れたりの由、申し畢んぬ。

其後智鏡房自美作州上洛、上人奉二字但真言宗中河少将阿闍梨受之、

その後、智鏡房は美作州より上洛して、上人に二字を奉る。ただ真言宗をば中河少将阿闍梨これを受く。[3]

法相法門見立蔵俊決之、蔵俊返二字。

法相の法門を見立て蔵俊これを決し、蔵俊返て二字す。

已上四人師匠皆進二字状、竹林房法印静賢奉値上人取念仏信 {其文者心義也}

已上四人の師匠、みな二字状を進ず。竹林房法印静賢は上人に値(あ)い奉りて念仏の信を取る。{その文とは心義なり}

三井公胤於殿上七箇不審開上人。

三井の公胤は殿上において七箇の不審を上人に開かる。

上人老耄之後不見聖教三十年、其後山僧筑前弟子、為令遂竪義参上人、内内談法門。

上人老耄の後、聖教を三十年見ず、その後山僧筑前弟子が、竪義を遂げしめん為に上人に参上し、内々法門を談ず。

竪者云、三十年不見聖教被仰、文々分明事、当時勧学越非直之人御云々。

竪者の云く、三十年聖教を見ずと仰せを被(こうむ)るとも、文々分明の事、当時の勧学にも越えたまへり、ただびとには非ずと御しけりと、云々。

公胤夢見云、源空本地身、大勢至菩薩、衆生教化故、来此界度度云々

公胤夢に見て云、源空本地身、大勢至菩薩、衆生教化のゆえに、この界に度々(たびたび)来たると、云々。

御臨終日記

三昧発得記


末註:

  1. 『法華玄義』、『法華文句』、『摩訶止観』のこと。
  2. 天台大師智顗の、『妙法蓮華経文句』10巻、『妙法蓮華経玄義』10巻、『摩訶止観』10巻と、妙楽大師湛然の、『止観輔行伝弘決』10巻、『法華玄義釈籤』10巻、『法華文句記』10巻を60巻というか。
  3. 中河少将阿闍梨とは『法然上人行状画図』に出る中川の少将上人のことか。→実範