一願建立
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「廬山寺本」から寿前観後(大経が先に説かれ観経はその後に説かれた)といふ意の略抄をしておく。このことから法然聖人も無量寿経が根本であるとみておられたことが判る。
- 故知、観経所説念仏起自寿経。
- ゆゑに知りぬ、『観経』所説の念仏は、『寿経』より起こる。
- 所以大経是念仏根本、説本願故
- ゆゑんは『大経』はこれ念仏の根本なり、本願を説くがゆゑに。
- 観経是念仏枝末、依本願故。
- 『観経』はこれ念仏の枝末なり、本願によるがゆゑに。
- 然則雖説定散諸行 非本願故 以不付属者也
- しかればすなわち、定散諸行を説くといえども、本願に非ざるが故に以て付属せず。(『原典版聖典』七祖篇 校異 1552頁)
また法然聖人は御開山の記述された『西方指南鈔』上末で、
- 次に『双巻無量寿経』・浄土三部経の中には、この経を根本とするなり。 (法然聖人御説法事)
と『双巻無量寿経』を根本の経であるとみておられたのである。後年、浄土真宗(教団の意)では、法然聖人と御開山の差異を強調する為に法然聖人は『観経』に依拠したと語るのだが、甚だしい錯誤である。