信
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しん
教法を信受し理解すること。(化巻 P.407)
『愚禿鈔』の原文では「心」の字。(嘆徳文 P.1079)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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「信」とは梵語プラサーダ(Prasada)の漢訳で、「信心」「信楽」「浄信」などと翻訳された。「濁った心を浄化するはたらき」「心をしずめる」「清らかな心にならしめる」という意味を持つ。仏陀の教えを聞くことによって、心が清らかに澄みわたることをいう。
浄土真宗では、「信」は澄浄(ちょうじょう)の義とされ、阿弥陀如来の本願を疑いなく受け容れることをいう。これを自力の信心ではなく、他力の疑蓋無雑のご信心というのである。なお、和訓の「信」には、まこと・まかせるの意味があり、そこから、まこと(真実)にまかせ「憑(たのむ)」という心相を生ずる。→「たのむ」
『倶舎論』巻四では、信は清浄の義とする。→『倶舎論』大善地法
- 彼法是何。
- 彼の法は、これ何ぞ。
- 頌曰、
- 頌に曰く、
- 信及不放逸 輕安捨慚愧
- 信と、および不放逸と、軽安と、捨と慚と愧と、
- 二根及不害 勤唯遍善心
- 二根とおよび不害と、勤とは、ただ善心にのみ遍ず。
- 論曰。如是諸法唯遍善心。
- 論じて曰く。是の如き諸法は、唯、善心に遍ず。
- 此中信者。令心澄淨。
- この中に信は、心をして澄浄ならしむ。
- 有説。於諦實業果中現前忍許故名爲信。
- 有るが説く。〔四〕諦、〔三〕宝、業〔因〕、果の中に於いて、現前に忍許するが故に名けて信となす。→国訳