文類
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もん-るい
経・論・釈の重要な文章をあつめ、整理したもの。例えば、南宋の宗暁の編纂した『楽邦文類』や親鸞が集めた『教行信証』(くわしくは顕浄土真実教行証文類)などがそれである。自説を説かないで、権威ある経・論・釈の文を編集して、その中に自己の信仰を披瀝するのは、敬虔(けいけん)な信順の態度によるもので、集や抄の名を付けた書も同様の趣意による。(仏教学辞典)
『安楽集』『観経疏』(本文に沙門善導集記とある)、『往生要集』『選択本願念仏集』なども「集」とされている。
御開山は『教行証文類』という文類という形式で著述されておられる。梯實圓和上はこの意を「ただ『楽邦文類』などの様式をまねたということだけではなくて、むしろ文類形式をとることによって、専修念仏の教説が仏陀や祖師の真意にかなう「浄土真実の宗旨」であることを、仏祖をして語らしめる為であったと考えられる。[1]」と言われていた。その意味に於いて御開山の経論釈の引文は単なる文章の引用ではなく、
- 敬信 真宗教行証 特知如来恩徳深。斯以慶所聞 嘆所獲矣。
- 真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。 (総序 P.132)
という「慶所聞 嘆所獲(聞くところを慶び、獲るところを嘆ずる)」の讃歎の意であった。
- ↑ 『法然教学の研究』p.501