心得た
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こころえた
人間の知解をもって理解できたと思っていること。(一代記 P.1300)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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心得たと思ふは心得ぬなり。心得ぬと思ふは心得たるなり。
問う 一物不将来の時如何
- 何も持っていないときはどうですか。
答う 放下著
- その大事に抱えているものを捨てろ。
問う 一物不将来、箇の什麼をか放下せん
- 一物も持っていないのに何を捨てるのですか。
答う 恁麼なら担取し去れ
- それならそれをひっ担いでいけ。
問者、言下に大悟す。
- 問うた人は一言のもと大悟した。
三田源七さんの『信者めぐり』に次のような話がある。
源七さんは信心/安心に苦しみ、あちらこちらの同行を訪ね歩いた。
美濃の、おゆき同行を訪ね四日間話を聞いたがどうしても判らない。
四日目におゆき同行に別れを告げた。
おゆき同行は、杖にすがって雪の中を見送ってくれた。
一、二町行くと、
「お~い、お~い」と呼び戻され、何事かと思って戻った。
すると、おゆき同行は源七の手を握り、
「源七さん、お前は信心を得にゃ帰らぬと言うたなあ」
「はい左様申しました」
「けれども何処まで行かれるか知らぬが、もしやこの後において、いよいよこれこそ得たなあというのが出来たら、如来聖人様とお別れじゃと思いなされ、元の相(すがた)で帰っておくれたら、御誓約どうりゆえ、如来聖人様はお喜びであろう」と言った。
源七さんは、その場では何のことやら訳がわからなかった、と後年述懐したそうである。