可見
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かけん
衆(しゅ)生(じょう)の観見の対象となるということ。 法身は無(む)色(しき)無形(むぎょう)で不可見であるが、報身は相好(そうごう)光(こう)明(みょう)をそなえているので可見である。 (安楽集 P.193)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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